豪打天理、最高のOBは「不惑の本塁打王」門田博光

2011.07.11


外山義明、南海などでプレー投打の二刀流として人気博す【拡大】

 天理野球部史上、最もファンに愛された男はいま、千葉県を拠点にしている。佐藤清(55)は現役時代、1メートル94センチの巨体からの強打でアマ球界を席巻。その昔の超人気番組、ドリフターズの「8時だョ!全員集合」の巨大キャラクター「ジャンボマックス」から付けられた「マックス佐藤」の愛称で親しまれた。

 千葉県大学野球リーグ1部、城西国際大の監督になって4年目。昨年のドラフトでは、同大学初めてのプロ選手(ロッテの育成枠・黒沢翔太)を送り出した。

 佐藤は昭和47年夏から3季連続甲子園出場。2年夏は4番・一塁だったが、3年春・夏はエースで、夏は2試合連続完封した。早大に進んだ3年秋の早慶戦では3本塁打を含む1試合17塁打。この記録はいまだに破られていない。

 大学通算14本塁打の勲章を手に日本生命へ。ここでも都市対抗優勝2回、日本選手権優勝1回。その後、早大の監督を4年、務めた。優勝こそなかったが、多くのプロ選手やアマの指導者を育て、アマの王道を歩んでいる。

 アマの指導者といえば、佐藤の大先輩にあたる市原弘道がいる。早大卒業後に千葉・習志野高の教師となり、野球部監督に。昭和42年夏、千葉県に初の優勝旗をもたらした名将は昭和63年、55歳で亡くなった。

 天理が生んだ最高のプロ野球選手は、「不惑の本塁打王」と称された門田博光。4番・センターで出場した40年夏の甲子園は初戦敗退だったが、クラレ岡山を経て南海へ。アキレス腱断裂を乗り越え、歴代3位の567本塁打、2566安打で殿堂入りした。40歳での44本塁打は不滅の大記録だ。

 門田と同期の外山義明(故人)は、同じクラレ岡山を経てヤクルト、南海などでプレー。投打の二刀流として人気を博した。

 昭和30年代から甲子園の常連となる天理の代名詞は「豪打天理」だった。常に大型チームを編成して甲子園に登場。51年春からはエース・福家雅明、主砲・鈴木康友で3季連続出場した。福家は三菱自動車川崎から阪神入り。引退後はテレビ番組制作会社のディレクターとなり、現在は阪神の番組を手掛けている。鈴木は、巨人の長嶋茂雄監督に直接、口説かれて入団したほどの逸材。大きな活躍はできなかったが、コーチとして能力を発揮し、現在は西武の内野守備走塁を担当する。

 全国制覇間違いなし−といわれたのが56年のチームだった。前年夏の4強入りの原動力となったエース・小山昌男(近鉄)、川本和弘(南海)、藤本博史(南海、現ソフトバンク・コーチ)ら6人が3年生になったが、不祥事で対外試合禁止。悲願の全国制覇は、その5年後まで待たなければならなかった。

 61年夏。エース・本橋雅央(早大)、主砲に中村良二(近鉄、阪神−天理大監督)と山下和輝(プリンスホテル−阪神、現自営業)らのチームで奈良県勢初の大旗を手にした。

 一度、優勝旗を手にすると勢いに乗った。平成2年夏はエース・南竜次(日本ハム、現会社経営)と2年生投手・谷口功一(巨人−西武−近鉄−米マイナー球団)らの活躍で2度目の優勝。同9年の春は、主将で捕手の東辰弥が投手・長崎伸一をリードして大旗をつかんだ。東は早大から阪神入り。現在は1軍マネジャーとしてチームを支える。長崎はプリンスホテルからロッテに入り、現在は打撃投手として裏方に徹している。

 現役のプロ選手といえば阪神の関本賢太郎だ。8年夏に甲子園出場(2回戦敗退)。東、長崎の1年先輩にあたる。スタメンでも、代打でも、守備固めでもよし…のユーティリティープレーヤーとして存在感を見せつけている。

 ことし6月、天理はまた、不祥事で夏の大会の出場を辞退した。強力チームを作り上げる度に不祥事が起き、監督が代わる…。ことしのチームは、昨秋に続き、今春も近畿大会で優勝していた。

 明治35年創部で甲子園出場46回(春21、夏25)。優勝3回(夏2、春1)で通算68勝…。タレントをそろえ、豪打と洗練されたプレーでうならせる天理野球の復活が待たれる。 =敬称略

 

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