広岡監督、なんでボクをとったんですか!

2011.07.14


広岡達朗氏【拡大】

 1984年にプロ入りしたボクは西武、巨人で広岡達朗さん、森祇晶さん、藤田元司さん、長嶋茂雄さんと計4人の監督の下でプレーしました。今回から、この4人の指揮官との悲喜こもごもの思い出話について、言わせてもらいます。まずは、広岡監督から。

 西武からドラフト1位指名を受け、茨城の水戸商高から高校通算52本塁打の当時の記録を引っ提げてのプロ入り。「水戸の怪童」と呼ばれ、意気揚々とプロの門をたたこうとしたボクに、周囲の大人たちは祝福、激励してくれつつ、必ず首をかしげて、こう言うのです。「ところで、広岡さんは、なんでオマエをとったの?」

 よく考えれば、そう思われるのも当然でしょう。かつて巨人の名遊撃手として活躍し、82年、83年と西武を日本一に導いた広岡監督といえば、徹底した管理野球で名をはせた指揮官です。

 打撃よりも守備、長打よりもつなぎの野球、食事は玄米、そして紳士的な雰囲気…どれを取っても、ボクはカラーにそぐいません。広岡野球を知れば知るほど、痛感させられました。

 広岡監督、なんでボクをとったんですか!!

 まず、仰天したのが、ハンパない練習量でした。当時は2月のキャンプイン前の1月、全選手がチームから強制的に招集をかけられる合同自主トレが行われていました。1月10日前後には、実質的にキャンプ開始です。まだ水戸商卒業前のボクも、高校から「行ってこい」と送り出されて初日から参加しました。

 西武球場に到着し、壁に貼ってある練習メニューをみると、「ウォームアップ・ランニング60分」に続いて「100メートルダッシュ100本」と書いてあります。ボクは「10本の間違いだろう」と思い、のんきに練習を始めたところ、100メートルダッシュは終わる気配がありません。本当に「100本」だったのです。

 ベテランの東尾修投手、大田卓司外野手ら主力組も一切、特別扱いなし。ウォームアップは15分だった水戸商の練習に慣れていたボクには信じられない練習量。これが、合同自主トレ初日の練習メニューとは…。

 それから、守備、打撃、チーム練習と一通りの練習をこなし、ようやく終わりと思ったら、「クールダウン」と称して、西武球場近くの多摩湖10周、約8キロのタイムレース。さらに、体重110キロを超えていたボクは、「太っているから」という理由で、追加でグラウンドの外周を10周。夕食後は、夜間練習が待っています。練習初日から「とんでもない所に来てしまった…」というのが実感でした。

 その上、合同合宿2日目にして、広岡監督に目を付けられる事件が起きました。練習中、首脳陣の姿が見えなくなったと思ったら、寮の見回りをしているのです。入寮したばかりのボクの部屋にあるのは、布団とボストンバッグ、そして水戸を出るとき、母ちゃんが持たせてくれた日本酒、ブランデー、ウイスキーとたばこだけ。すぐに広岡監督から呼び出しです。

 「大久保! オマエ、いつから酒を飲んでるんだ」

 「小学校の入学式からです。母ちゃんが飲めっていいました」

 「なに? たばこはいつからだ」

 「小学校5年からです。母ちゃんが家で吸うならいいって…」

 「オマエは、母親が人を殺せっていったら殺すのか!」

 大目玉です。入寮2日目で外出禁止処分を受けたのは、ボクくらいのものでしょう。

 また、チーム練習で目が点になったのは、年間1度あるかないかのプレーの練習を徹底的にやること。たとえば、1死一、三塁の場面から浅いライトフライが上がったと想定し、タッチアップした一塁走者がおとりになり、三塁走者が本塁を狙う−。ボクが現役、解説者時代、一度も見たことがないプレーを、しかもサインで。こんな練習を3時間も行うのです。

 夜のミーティングでは、広岡流の“必勝法・必敗法”の講義。「バントを成功すれば勝ちにつながる。失敗すれば負けにつながる」…。野球の基本を徹底的にたたき込まれるのです。

 そんな緻密な管理野球を掲げる広岡監督の影響で、コーチ陣にも常にピリピリムードが漂っていました。

 入団1年目、2軍のヤクルト戦で、初めて4番に入ったときのこと。土井正博打撃コーチから「思い切りいけ」と言われていたにもかかわらず、ボクの第1打席は止めたバットにボールが当たり、中途半端な投ゴロに終わりました。

 すると土井コーチは試合中にもかかわらず、鬼の形相で車にボクを乗せると、自分が運転して西武球場の室内練習場へ直行。何と午後2時から深夜の12時まで、打撃マシンを相手に、延々と10時間ぶっ続けの打撃練習を命じたのです。後にも先にも、こんなにボールを打ったことなんてありません。1分間で6〜7球、投球できるマシンを相手に、10時間打ったら果たして何球でしょう。

 在庫のボールすべてを使い切り、終わったときには練習場一面に広がったボールで、くるぶしまですっぽり隠れてしまうほどでした。その間、休憩どころか給水もありません。今のプロ野球ではありえない、まさに広岡イズムの猛練習でした。

 練習がキツくて自然に涙がポロポロ流れ落ちるグラウンドだけでなく、恐怖は茶碗に玄米が盛られる食卓にも…。その話は次回に。

 ■大久保 博元(おおくぼ・ひろもと) 1967年2月1日、茨城県大洗町生まれ。水戸商高から豪打の捕手として84年にドラフト1位で西武入り。92年にトレードで巨人へ。「デーブ」の愛称で親しまれ、95年に引退するまで、通算303試合出場、41本塁打。2008年に打撃コーチとして西武に復帰。現在は東京・新宿区の自宅で野球塾「デーブ・ベースボールアカデミー(DBA)」を開校。DBAは生徒募集中、問い合わせは(電)03・5982・7322まで。

 

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