元中日・三浦将明さん“野球が織りなす不思議な縁”

★スポーツデポ小牧店勤務 ベースボールアドバイザー(45)

2011.07.20


三浦将明さん【拡大】

 横浜商時代の1983年、春夏連続の甲子園準優勝で悲運のエースと呼ばれた。やまびこ打線の池田、KKコンビのPL学園に優勝を阻まれ、唇をかむ姿は野球ファンの心をとらえた。中日引退後の現在は、愛知県小牧市のスポーツ用品店に勤務し、ベースボールアドバイザーを務めている。 (聞き手・米沢秀明)

 【ベースボールアドバイザー】

 この7月で3年目になります。普段は野球用品売り場で、販売や用具の修理をしています。毎月無料野球教室を開いて、野球を指導しながら用具のアドバイスをするのも大事な仕事ですね。

 野球教室では、大事なポイントのヒントだけを教えて帰ってきます。「あとはお店に来てくれれば教えるよ」などと言ってね(笑)。自分で考えることも大事ですから。

 子供たちに「バットを選んでもらったら打てた」と言ってもらうとうれしいですよ。でも僕は投手出身ですから、野球教室で打撃を教えるのにも、バットを販売するのにも勉強し直す必要があります。実は、ひそかに野球入門の打撃編を読みあさったりしています。

 【佐川急便へ】

 プロの壁は高く、僕の直球の切れでは限界がありました。中日を解雇された直後は将来について楽観している部分がありましたが、やはり、一般社会のことは何もわからない。中日の先輩の倉田邦房さんに相談したところ、「おまえ、ウチへ来い」と。当時、倉田さんなど4人の元プロの先輩が佐川急便の中京支社に勤務していたのです。

 年が明けて面接を受け、その2日後には総務課で保険労務の担当をすることになりました。ありがたいことに、そこにも野球経験のある先輩がいて、半年で仕事を覚えることができました。

 当時、佐川急便は会社を挙げて軟式野球に取り組んでおり、全国各支社がしのぎを削っていました。当時の湊川誠生支社長(現・湊エキスプレス社長)が野球に理解があり、「選手を集めてでも勝ってくれ」という話に。僕も軟式野球部に入って、徐々に軟式野球が仕事になっていきました。

 【夜勤に苦しむ】

 一生、佐川急便に勤務することになるかな、と思った勤務9年10カ月が経ったころ、湊川社長が独立し、湊エキスプレスを立ち上げました。自分も含めて43人の社員が一斉に同社を辞めて移籍することになり、湊エキスプレスには9年勤務しました。

 ここでも5年間は総務係長でしたが、途中から倉庫の管理の仕事に変わりました。夜勤になじめず体重は85キロから70キロに激減。現場は粉塵で顔面、鼻の穴まで真っ黒に。その後、岐阜支店に配属となって配達のアシスタントとして初めて車に乗りましたが、10カ月で腰を痛めて荷物の積み下ろしができなくなってしまったのです。

 もう、運送会社に勤務するのは無理でした。引退後から、ずっとお世話になった湊川社長に退社を申し出ました。「次のところでがんばれ」と言われ、号泣したのを覚えています。

 【借金返済】

 佐川急便時代の待遇はサラリーマンとしては恵まれたものでした。ところが、3年ほどすると夫婦仲がうまくいかなくなり、最初の結婚は破綻しました。離婚の際にまとまった額の借金を背負うことになり、月給の4分の3を8年近く払い続ける生活となったのです。

 木戸とすりガラスの古い小さなアパートへ引っ越しました。家賃は3万7000円で風呂は会社のシャワー。隣の酔っ払いが夜中に間違えて入ってくるような部屋でした。金融機関のローンカードは14枚もあり、遊びにいくこともできないので、テレビを見ながらこのカードでトランプをするのが日課。

 山本昌が遊びに来たとき、アパートを見つけることができず、「駐車場にでも住んでるのか」と言われたほどです。会社へ通う自転車を買うことができたのは1カ月後です。

 だから、再婚するなんて思いもよりませんでした。妻は高校野球時代から僕を岐阜から応援をしてくれていたファンの1人。僕が運送会社で働いていることを知り手紙をくれたのです。借金まみれになった僕なのに、会うと彼女は緊張している様子でした。

 ありがたい話です。再婚して9年。今は子供も2人できて別人になってしまいましたが。

 【ファンレター】

 高3のときは、毎日段ボール箱でファンレターをもらいました。整理をしてくれたのは父。父はがんで僕が20歳のときに他界しましたが、闘病中も川崎の実家の団地で、ファンレター整理が日課でした。枚数は7万枚だったそうです。返事はほとんど父が代筆したものです。甲子園にも借金して応援に来てくれていました。感謝しています。

 今でも甲子園で清原に本塁打されたシーンは夢に見ます。今年もまたそういう季節になりましたね。準優勝ばかりでしたが、悲運の呼び名は要らないですよ。まあ、人生、何とかなるものですからね。

 ■みうら・まさあき 1965年9月17日生まれ。神奈川県川崎市出身。横浜商2年時の82年春、甲子園で早実・荒木大輔を下して準決勝進出。83年も春夏連続出場したが、池田・水野、PL学園のKKコンビに敗れいずれも準優勝に終わった。同年ドラフト3位で中日入団。86年中継ぎでデビューし、90年現役引退。現在はスポーツ用品店「スポーツデポ小牧店」(愛知県小牧市堀の内5の146)にベースボールアドバイザーとして勤務している。

 

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