広岡監督が掲げる「玄米食」で下痢に…

2011.07.21


1982年、徹底した管理野球で西武を日本一に導き、胴上げされる西武・広岡監督【拡大】

 ボクがプロ入りした当時の指揮官は、徹底した管理野球で名高い広岡達朗監督。前回は、広岡流の猛烈な練習についてお話ししました。何でボクを獲ったの…と思う毎日。練習だけではありません。高校出たてで食べ盛りのボクにとっては、毎日の食事も、まさに拷問のようなものでした。

 記憶されている方も多いでしょう。選手の体質改善のため、広岡監督が掲げたのが「玄米食」。選手寮の食卓に並ぶ茶碗には、玄米が盛られていました。母子家庭で、貧しかったボクの実家でも、おかずはなくてもご飯だけは白米。入寮最初の夜に口にした玄米のあのプチプチとし、のどに詰まるような食感には、違和感を覚えざるをえませんでした。

 翌朝、起きてみると、どうもおなかの具合が悪い。慣れないものを食べたせいか、下痢してしまったのです。ドラフト1位入団で注目されていたボクは報道陣に囲まれ、当然、玄米食について尋ねられます。「ちょっと、下痢気味ですね…」と答えたところ、大変なことに。

 次の日の新聞には『大久保、玄米食べて下痢!』と大見出しが躍っています。そうしたら、コーチに呼び出され、厳しい口調で言われました。「玄米食を批判するとは何だ。首脳陣批判で無制限の罰金だ。気をつけろ!」。広岡監督の指示はチーム内では絶対なのです。

 ボクだけでなく、若い選手が玄米で満足するはずもなく、結局、寮の食事はそこそこに、忍び足で近くの喫茶店に出かけて、焼きそばや生姜焼き定食をかき込んでいたというのが実情でした。

 しかし、酒、たばこの所持が発覚し、入寮2日目から外出禁止を言い渡されたボクは、喫茶店にも行くことができません。夜中に、どうしてもおなかが減って我慢できなくなり、ある先輩選手と一緒に食堂をのぞくと、不人気のため余った玄米が、どんぶりに山盛りになっています。腹が減っては…。先輩選手と、夜中に玄米をおにぎりにして、パクついたのです。

 「泥棒が入って、食料が盗まれた!!」。翌朝、起きてみると、寮の中が大騒ぎになっていました。先輩選手と「これはマズいでしょう」と話し合って“自首”。『もう2度と寮のご飯を盗みません』という始末書を書いたのは、球界でもボクだけでしょう。

 キャンプ中の昼食は、野菜スティックとスープだけ。おなかが減って仕方がないからスープをガブ飲みです。スープで腹いっぱいにするため、1度に2リットルくらい飲んだのではないでしょうか。

 宿舎では唯一の楽しみだった夕食の食卓にも、玄米はじめヘルシーなメニューが並び、飲酒も禁止。ベテランの東尾修投手でさえ、遠慮して急須にビールを入れて飲んでいたくらいです。お酒が入らないから、選手間の会話も弾みません。食べ始めて10分もすれば、みんな食堂から消えていくといった具合です。

 2008年、西武の1軍打撃コーチとして、久しぶりにキャンプの食卓についたとき、テーブルの上には、ビール、ワイン、焼酎がズラリ。今の選手の恵まれた環境をうらやましく思ったものです。

 その上、入団当初、体重110キロと太り気味だったボクには、厳しい減量指令が下されていました。定期的に計量が義務づけられ、ノルマの1キロオーバーにつき5万円の罰金。計量の前日となれば、飲まず食わずは当たり前。厚着をして1時間半を走ったりと、まるでボクサーのような減量を強いられたのです。

 徹底して管理された広岡流の下、コーチだけでなく、選手の間にも常にピリピリしたムードが漂っていました。1軍でも活躍しない選手は、主力組からあいさつもしてもらえません。当時の西武は「いがみあっても優勝すればいい」という雰囲気でした。

 負けた試合後のロッカールーム。「ピッチャーが打たれなきゃ負けないんだよ」と不満をぶちまけたレギュラー野手に対し、怒ったある投手が殴りかかって大げんかになったことも。捕手だったボクにとっては、先輩投手が恐ろしくてなりませんでした。

 森繁和投手(現中日ヘッドコーチ)には、試合中、サインが合わないときなど、マウンドに呼びつけられ、怒鳴られることなど日常茶飯事。東尾投手にはブルペンで「オマエ、気持ちが入ってない。もっと声を出せ」とどやされ、1球ごとに「来い!」と大声を張り上げて捕球しなければなりませんでした。

 そうかと思えば、当初ブルペンで「軽く20球くらい」といって始めた松沼兄弟の兄、博久投手の投球練習は、いつまでたっても終わらない。何と700球受けたところで、ようやく終了。ルーキーのボクには、心が休まるときはありませんでした。

 ただ、自分が指導者になって分かったのですが、猛練習を乗り越えた選手には「あれだけ練習しているのだから負けるわけがない」という自信が芽生え、土壇場でもリラックスできる能力が備わる。そこに、優勝争いしたら絶対の強さを発揮した西武の底力があったのです。何でボクを獲ったのかというところから始まった広岡野球。今になって、なるほどと思えることばかりです。

 ■大久保 博元(おおくぼ・ひろもと) 1967年2月1日、茨城県大洗町生まれ。水戸商高から豪打の捕手として84年にドラフト1位で西武入り。92年にトレードで巨人へ。「デーブ」の愛称で親しまれ、95年に引退するまで、通算303試合出場、41本塁打。2008年に打撃コーチとして西武に復帰。現在は東京・新宿区の自宅で野球塾「デーブ・ベースボールアカデミー(DBA)」を開校。DBAは生徒募集中、問い合わせは(電)03・5982・7322まで。

 

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