ボールを包丁に持ち替えて!魚をなで切りにする職人

★元阪神、尼崎市公設地方卸売市場「浜光水産」社長の多岐篤司さん(43)

2011.09.07


多岐篤司さん【拡大】

 世の中が寝静まる午前1時、兵庫・尼崎市場の一日が始まる。せりの熱気、買い付けた新鮮な魚を素早くさばく業者たち。ここが阪神時代、中継ぎ投手だった多岐さんの仕事場だ。ボールを包丁に持ち替えて、魚をなで切りにする職人技は見事だ。(聞き手・米沢秀明)

 【零時半起き、午後9時就寝】

 起床は毎日午前零時半です。それから市場に行って1時には鮮魚の仲卸しの仕事が始まります。せりで仕入れた魚を横にある店舗に運び、さばいて買い付けに来るすし店やスーパーなどの業者に卸します。阪神の合宿所の虎風荘にも開幕にタイを入れさせてもらったり、先輩選手が経営する飲食店に配達させてもらったりもします。

 寝る時間は夜9時ごろですから、睡眠時間は3時間半。週に何度か昼寝をしますが、基本的にはこの生活を引退後から16年間続けています。現役時代は8時間は寝ないと体が動かない方で、寝坊して怒られたこともありますから、人生はわからないものです。

 市場の仕事は中学の同級生だった妻(くみ子さん)の家業。ひじ痛で思うように投げることができず、阪神を引退したのですが、世間のことは何もわからない。球団の裏方の仕事も紹介してもらったのですが、このまま野球界にいても甘えが出る気がしていました。

 とはいえ具体的な仕事は何もない。自分はいったい何がやりたいのか。子供も生まれたばかり。シーズン終了後、11月ぐらいになっても頭の中はまとまりませんでした。そんなとき、「ちょっと魚を運んでくれないか」と義父(70)に声をかけてもらって手伝いに行ったのです。

 野球は好きでやっていましたから、苦しくても耐えられました。ところが魚は全く知らない世界。1週間で嫌になってきた。しかも冬になって仕事はどんどん忙しくなっていく。続けることができたのは、この道50年の義父に手取り足取り教えてもらったからです。

 何度も失敗して覚えてきました。せりに出るには3年以上の市場での勤務経験が必要。小さな黒板にチョークで数字を書いて出します。扱う魚介類は100種ほど。風が吹いただけで魚の値段は高くなってきます。

 せりを1人でできるようになるまで7−8年はかかったでしょう。今は義父とベテランの店員さんらと手分けして、青物、タイ、イカ、近海物などと種類別に同時に行われる別のセリに同時に参加します。自分はタイなどのせりを任せてもらっています。

 平日はサウナに入って、犬の散歩をしたら寝る時間。引退直後は選手仲間に誘ってもらうこともありましたが、いつも断ってばかり。最近はさすがに自分の生活が朝夜逆転していることはわかってもらっています。

 週末は午後1時に仕事が終わると奈良まで車で1時間ほど走って野球指導に。運転中に眠くなることはありますね。

 【市場の将来】

 今でも巨人戦で投げたのはいい思い出。緒方さん、駒田さんらテレビで見ていた人に投げて0点に抑えたのは不思議なうれしい体験でした。プロ入りが決まってから、体育の授業で膝靱帯を損傷。スタートから出遅れたことはプロ生活に大きく響いてしまいました。あのときもし、と思うことはありますがそれも人生です。

 震災の影響で魚屋の仕事はしんどくなっています。宮城方面の魚は関西に多く送られていましたから。被災地の会社がまるごとなくなったところもあり、市場への入荷は3−4割減。特に東北の戻りカツオが皆無です。

 毎日忙しく後ろを振り返る時間はありませんが、心配もあります。尼崎の市場は立地的には大阪、神戸、明石の市場に囲まれており、お客さんが周囲へ流れやすく、規模としては年々縮小してきています。

 消費者へ安定した値段で鮮魚を届けるには市場の存在意義は大きいのですが、産地直送での仕入れも増えています。後継者不足も深刻です。市場で自分はまだ若手。ほとんどが先輩たちですが、仕事を継ぐ2代目がいない。魚を買いにきてくれるお客さんにも2代目がいないのです。

 一般のお客さんも月1回(第1土曜日)、市場に入ることができます。熟練のプロが魚をさばく早業は一見の価値があります。自分もタイは10−20秒で3枚におろします。ウロコがついていても1分あればできます。アンコウも得意です。

 今は市場が元気になるよう力添えできれば、というのが願いですね。

 ■多岐篤司(たぎ・あつし) 1968年5月25日、島根県生まれ。兵庫県西宮市出身。左投左打。神戸弘陵高時代から本格派左腕として活躍し、86年ドラフト4位で阪神入団。同年米1Aフレズノに野球留学。同年に中継ぎとして1軍デビューした。入団直前から故障に悩まされ、95年現役引退した。通算成績は登板4試合、0勝0敗、防御率3・18。現在は、鮮魚仲卸「浜光水産」(尼崎市潮江4の4の1)社長。元阪神の赤星憲広氏が主宰する少年野球クラブ『RED STAR Baseball Club』の投手コーチも務める。

 

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