元「巨人ドラ1」が歌手をへて野球部監督に

★元巨人、阪急、ロッテ 「株式会社ユー・エス・イー」軟式野球部監督・藤城和明さん(55)

2011.09.28


荒川河川敷のグラウンドで真っ黒に日焼けした藤城さん【拡大】

 名門・巨人の歴代4番打者は、今季初めてその座に就いた長野久義外野手が75代目だが、ドラフト1位指名選手はもっと少なく、過去44人しかいない(入団拒否1人を含む。自由獲得選手、希望入団選手、育成ドラフト1位は除く)。1976年1位の藤城和明さん(55)は、投手として通算14勝を挙げて現役を引退した後、一時は歌手に転向。国内独立リーグの監督も務めた。現在は、IT企業「株式会社ユー・エス・イー」(東京都)に勤め、IPI軟式野球リーグに参戦中の軟式野球部の監督も務めている。(聞き手・宮脇広久)

 会社では「採用企画室室長」として、大学を回って求人活動などをしています。お世話になって4年目。会社は軟式野球部を強化し、社のイメージを明るくしてくれる監督を探していました。

 西武の元スター選手で四国アイランドリーグ(当時)の創始者、石毛宏典さんが講演で訪れた際、推薦してくれたそう。僕を招いてくれた代表取締役の吉弘京子副社長は福岡県出身で西鉄時代からライオンズファン。軟式野球部チーム「シシーズ」もライオンズの“獅子”にちなんでいるのです。

 最初は「軟式か」という気持ちがなかったわけではありません。しかし、見学して驚いた。会社の名誉のため真剣にやっていて、これは草野球ではないな、と。「たとえボールは違っても、うまくなりたい、勝ちたいという心は同じ」と痛感し、力になりたいと。

 巨人からは、高校を卒業する時にも「ドラフト外でなら」と誘ってもらいましたが、社会人で修業する道を選びました。2年後、その巨人にドラフト1位で指名してもらった時はうれしかった。ただ、巨人は規律も厳しく、兵庫出身の僕は寮長から「まず方言を直せ」と、指導されました。

 その分、阪急に移籍した時は「野球って楽しいな」と思いました。巨人ではチームメートもライバルでしたが、阪急は「仲間同士、勝つために頑張ろう」と和気藹々。山田久志さん、山口高志さん、佐藤義則さんら主力投手が気軽にアドバイスしてくれることが、移籍当初は不思議でした。

 右肩を痛めて阪急をクビになった後、入団テストでロッテに入ることができたのは、実は旧知の歌手・松山千春さんが、仲の良い稲尾和久監督(当時)に掛け合ってくれたから。

 僕自身も現役引退後、自慢の歌唱力を生かそうと、歌手としてスナックを回ったり、一時は「敏いとうとハッピー&ブルー」にボーカルとして参加しましたが、あまり胸を張れる経歴ではない。

 1993年からは長嶋巨人に呼ばれ、5年間2軍投手コーチに。11・5ゲーム差を逆転して優勝した「メークドラマ」の年(96年)には、開幕スタートダッシュ失敗に伴って、5月から1軍に昇格していたんですよ。

 2005年には石毛さんに誘われ、高知ファイティングドッグスの監督に。四国アイランドリーグ時代も現在も、僕が選手たちに厳命していることが「対戦相手をヤジってはならない」。

 プロでお金を稼ぐようになってからならヤジってもいい。だが、ここの選手たちは、相手のレベルが上がれば試合のレベルが上がり、自分たちもレベルアップできる。相手がうまくなって、自分もうまくなれる。だから相手のいいプレーには拍手を送り、お互いに元気づけるべきなのです。

 現在、月に数回「TCN松本匡史野球教室」で小学生相手にも教えていますし、大学の臨時コーチも。僕ほど、あらゆるレベルの野球に携わった人間は珍しいのではないですか。幸せなこと。これからもそこに野球がある限り、僕はどこへでも行けると思っています。

 ■藤城和明(ふじしろ・かずあき) 1956年4月5日、兵庫県生まれ。右投げ右打ちの投手。兵庫・姫路市立琴丘高、新日鉄広畑をへて、76年のドラフト1位で巨人に入団。巨人には5年在籍し、82年開幕直後の交換トレードで阪急へ移籍。86年にロッテへ移り、同年限りで現役引退。通算101試合登板(先発51試合)、14勝19敗、防御率4・51。歌手活動を経て、93年に2軍コーチとして巨人復帰。退団後は98年に韓国プロ野球・三星ライオンズのコーチ、その後は解説者を務め、2005年に発足したばかりの四国アイランドリーグの高知監督に就任した。07年限りで退任後、株式会社ユー・エス・イーに入社。家族は妻と2女。

 

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