人生“大事な場面”はフルスイングで!会社員も同じ

★元大洋、巨人、ヤクルト、鰻・牛舌料理「大乃」店主 大野雄次さん(50)

2011.10.26


現在は料理店店主として、お客のサラリーマンに“振らなきゃダメ”と説いている【拡大】

 ヤクルト時代の1995年の日本シリーズでは、シリーズ初打席初本塁打の快挙を成し遂げた。バット1本で3球団を渡り歩いた“打撃職人”のトレードマークは、ここ一番での豪快な代打本塁打。現在は鰻・牛舌料理店の店主として、サラリーマン相手に人生の大事な場面でのフルスイングを説いている。(聞き手・米沢秀明)

 【客層は100%サラリーマン】

 朝は午前6時半に起きて築地で仕入れ、8時半には店に入って仕込み。11時から午後2時までがランチ。6時から11時までが夜の部だね。寝るのは日が変わって午前1時ぐらいかな。お客さんは場所柄、100%がサラリーマン。

 土日はリトルリーグで野球の指導。教えるのは技術よりも積極性。思い切りがなければ打てないということ。“振らなきゃヒットはうまれない”が俺のモットーなんだけど、これは人生すべてに通じる。

 何でも一歩踏み出さなければ結果は生まれない。この言葉を書いたオリジナルグラスを800個作って店に置いたんだけど、全部売れてしまった。サラリーマンの共感を呼んだということだろうなあ。

 上司みたいなお客さんが、若い部下に飲みながらよく言ってるよ。「行動を起こさなきゃだめなんだ。お前のこと言ってるんだ、この言葉は」なんてね。

 自分も現役を辞めて次の道にすぐに踏み出すことができたのは、この言葉のおかげだと思う。1カ月後には東京・両国のガード下のうなぎ店で修業を始める決意をした。巨人時代に知り合ったうなぎの老舗「神田きくかわ」(東京・神田須田町)の葛岡洋右社長にお世話いただいてね。

 朝5時に起きてうなぎの配送から始まる生活だった。うなぎに串を刺すのが仕事だったが、うなぎは弾力があるから、串を回転させて刺すコツをつかむまでなかなかうまくできないものだ。指を刺して血だらけになって、串ダコができた。何千本刺しただろう。仕込みは午前10時までに終わらせないといけなかったから忙しかった。

 【開店11年目】

 2年両国でやったあと、今の店を開店した。近くには自分が所属した川崎製鉄の本社もある。店は11年目になった。うなぎのタレは誰もが好む甘辛の10年間注ぎ足した味。大事にしているのはリラックスできる雰囲気と、常に俺が店にいることだ。

 うな重は松1995円、梅2940円。うちは梅の方が高いんだ。刺し身は俺の担当。各種メニューがあるが名物は「焼きおそば」。日本そばにマイタケを入れた焼きそばだ。お客さんが楽しそうに飲んでいるのを見るのが一番うれしい。俺も一緒に飲むけど、厨房(ちゅうぼう)にいるより飲んでいる時間の方が長いな。

 「どうしたら息子をプロ野球選手にすることができますか?」なんてお客さんに聞かれたりする。俺もプロに行けると思ったのは、社会人に入った24歳ぐらい。それまでは思いもよらなかった。だから言えるのは「中学なら中学、高校なら高校、所属している各カテゴリーの中でレギュラーになること」。その積み重ねだけだ。

 【サイン無視】

 俺は打席で本塁打を狙ったことはなかった。1度だけ、巨人時代に3ボールから狙って“待て”のサインを無視。レフトスタンドに放り込んだことがある。

 横浜スタジアムで、その日は2安打2打点と当たっていた。2−5で負けていたから走者をためたい場面。本当なら罰金ものだけど、藤田(元司)監督は俺のわがままを笑って許してくれた。

 ヤクルトに行って、日本シリーズでの代打本塁打が一番の思い出。野村(克也)監督に最初に代打指名されたときのことも思い出す。満塁だったから「悪いのう、初打席からこんな場面で」と気を使ってくれたなあ。

 “振らなきゃ”を使い始めたのもヤクルト時代から。共立女子大の女子大生が練習中にやってきて、俺のパネルを作りたいという。就職浪人生を励ます企画だから協力してくれといわれて、普段から自分に言い聞かせていた言葉をコピーとして贈ったんだ。

 そりゃあ、俺だって見逃し三振したことはある。だから、この言葉が大事なんだ。振らなかったらお客さんも自分も納得しない。

 夢はといわれれば、2軍のコーチをやってみたい。この仕事をしていたら、それは難しいかな。現状を維持するのだって大変なことだぞ。

 長男(25)は大学体育教師、次男(19)も社会人野球へ進んだ。店は嫁さんと長女(22)が手伝いに来てくれるから助かるけどな。昼休みにプールで泳ぐのがストレス解消だね。

 ■大野雄次(おおの・ゆうじ)1961年2月2日生まれ、千葉県富津市出身。君津商業高から専大を中退し川崎製鉄千葉入り。強打の野手として、86年のドラフト4位で大洋に入団した。91年巨人、93年ヤクルトへ移籍。主に代打として活躍し、思い切りのいい代打本塁打がトレードマークに。98年に現役引退。現役通算12年で打率・245、27本塁打、116打点。現在はJR田町駅前で鰻・牛舌料理「大乃」(東京都港区芝5の33の1、森永PB地下1F (電)03・3455・4989)を経営。港北リトル(神奈川県)監督も務める。

 

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