プロ野球界から教師の道へ!将来は野球指導者の夢も

★元横浜、同志社大学院生の染田賢作さん(29)

2011.11.30


母校の大学院に通い教師を目指す染田さん。今は通学も楽しい日々だ【拡大】

 今春、横浜の打撃投手を辞め、学生時代からの夢だった教師の道へ踏み出した。教職課程を取るため、同志社大大学院に通い始めて約半年。久しぶりに戻った母校での授業には苦戦しているが、目標のはっきりした新生活は充実している。(聞き手・米沢秀明)

 ■打撃投手2年間

 プロでは大学時代の力も出せずにいました。学生時代は何も考えずに投げていましたが、フォームがわからなくなって。故障もあって戦力外となり、勧められて打撃投手として2年間裏方の仕事をしたのです。

 ただ、自分では『向いていないかな』と思っていました。秋季キャンプで初めて投げたとき、何とかできたので続けることができましたが、手伝いで始めたスコアラーの方が向いているように感じていました。

 一方で、横浜の低迷は続いていました。その影響は球団内に広がり、頻繁にスタッフが交代になったりしていました。そして自分も『申し訳ないが来季は雇うことができなくなった』といきなり言われたのです。

 選手のときには何となく予測できたので気持ちの準備がありましたが、このときは『えっ』という感じでした。

 ■母校に戻る

 妻のおなかには2人目の子供がいました。保険会社を紹介してもらったのですが、自分は営業向きではありません。打撃投手のときもうまくいかなかったので、今度は自分を生かせる仕事を探そうと思いました。

 そのとき、お世話になっていた米村(理)コーチ(元オリックス、横浜コーチ、楽天コーチに就任)に『教師のような仕事をした方がいい』とアドバイスしてもらいました。郡山高時代の森本達幸監督にも相談し、母校の同志社大大学院を受けることにしたのです。

 もともと自分は、ずば抜けた選手というわけではありません。大学4年でいきなり結果を出したことで評価され、それまではプロに入るとは考えたこともありません。教師になりたいというのが当時の夢だったのです。

 ■学生生活

 性格的に目標がないとがんばれないのですが、その目標が高すぎるのもダメ。教職課程を取って教師になるというのは良い目標です。学生に戻るのは猶予期間というか、リセット期間という感じもありますね。貯金は減る一方なんですけど。

 授業は朝から夜まで入れられるだけ入れました。昼間は一般学生と一緒で、夜は大学院の授業に出ます。大学生活をエンジョイするという雰囲気はないですね。昼間は完全に浮いています(笑)。大学生時代は野球ばかりやって、キャンパスにはあまり来ていなかったので新鮮です。

 スポーツ健康科学の権威、横山勝彦教授に指導を受けています。ゲストスピーカーというかたちで、自分も壇上に立つ機会がありました。プロ野球の給料や査定、年金、選手の肖像権などを学生たちに話しました。

 授業は難しい科目もあって苦戦していますね。卒論は、プロ野球選手のセカンドキャリアやプロアマ規定などをテーマにしたいと準備しています。範囲の狭い定期試験は以前から得意です。

 将来は高校の教師として野球を指導できたらいいですね。正直な気持ち、やはりプロの1軍で活躍したかった。でもできなかったことも含めて、自分の経験を伝えていきたいです。

 甲子園を目指すようなチームばかりがいいとも思いません。それよりももっと大事なことがあると思いますからね。

 ■染田賢作(そめだ・けんさく)1982年6月21日、奈良県宇陀市出身。同県立郡山高3年夏、三塁手として甲子園出場。同志社大では2004年に関西学生リーグ史上初の完全試合を達成するなど、エースとして活躍した。同年、本格派右腕として自由枠で横浜に入団。05年7月、阪神戦でデビュー。07年9月のヤクルト戦でプロ2試合目の登板。08年に引退し打撃投手に。ことし同志社大大学院総合政策科学研究科に入学した。

 

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