野球を通じて社会の“荒波”乗り越えろ!

★元ロッテ、ヤクルト、近鉄 大東文化大野球部コーチの寺村(山崎)友和さん(37)

2012.02.08


経験を活かしたコーチングで、選手たちの人間力も養っている【拡大】

 スリークオーターから投げる力強い速球が持ち味で、ヤクルト時代には背番号13を背負って先発、リリーフとして2001年の日本一に貢献した。現在は大東文化大野球部コーチとして後進の指導に当たっている。選手との会話を尊重し、野球を通じて社会の荒波を乗り越える人材を育成するのがチーム方針だ。(聞き手・米沢秀明)

 野球エリートを集めて勝つことだけを追求する大学野球部とは違いがあるでしょう。部員100人、基本は全寮制ですが、練習環境も限られているし、授業を優先しているので練習時間を取れない選手もいる。その中で、短時間で効率的な指導の手伝いをするのが自分の仕事だと思います。

 選手に対しては何かを押しつける方法ではなく、できるだけ一人一人とコミュニケーションを取りながら指導するのが基本です。最終的には選手自身に選択させることにしています。

 野球を通して、卒業後に社会の荒波にもまれても、立ち上がっていくことのできる能力を磨いてやりたいというのが、監物靖浩監督の基本方針。その中で強豪大学を倒していきたい。野球をツールとして選手たちの人間力を養いながら、野球でも上を狙っていくということです。

 チームには大学の野球部にありがちな必要以上の上下関係や、シゴキはありません。最低限のマナーは当然ですが、それ以外は基本的に全選手が同じ練習をしてチャンスをつかむことができます。それぞれの選手が、それぞれの考えで練習する時間もあります。

 高校時代は無名の一般学生も入部できるし、有名高校出身の選手を追い抜く実力をつけていくこともあります。いい選手を集めて育てる英才教育ではなく、普通の選手を育てる“促育教育”といえるかもしれません。

 選手も大人ですから何でも本当はわかっています。自分がプロの元投手だからといって、すべて受け入れてくれるわけでもない。尊敬される人間でなければ、誰も言うことを聞いているようで聞いていないのです。自分だって指導者泣かせの選手でしたからね。あまのじゃくで。よくわかりますよ。手を焼かせる選手こそ、実力を出すということもありますね。

 プロを自由契約になったあとは、米国のトライアウトに2カ月間かけて挑戦しました。そのあと1年野球浪人をして日本のトライアウト、台湾球界へも行きました。

 日本に帰ってきてからはビルメンテナンス会社で床やエアコンの掃除をしたり、建設会社でドリルを担いで穴を掘ったり。コンビニや宅配便など、いろいろな仕事を経て、昨年11月から大東大のコーチになりました。

 さまざまな仕事をしながら、少年野球教室の指導も始めたことから、指導者への夢が広がり、今につながっていると思います。

 プロ入りしたときあまりにもレベルが高く、ショックを受けたことは今でも忘れません。それでも6年やることができたのが誇りです。今思えば、そのショックで動じてしまった自分がいました。本当はレベルの差なんか気にしないで、もっとがむしゃらにやれていれば、ひょっとしたら自分のプロ生活は変わっていたのではないかという思いがあります。

 この思いを無駄にしたくないのです。人生というスパンではいい経験でした。だから、今の仕事に生かしたい。プロ生活での不完全燃焼があるからこそ、わかる学生たちの気持ちもあると思います。人生の試練を避ける方法はないでしょうが、それでも選手たちには少しでも近道をさせてやりたいのです。

 ■やまざき・ともかず プロ時代の姓は寺村(てらむら)。1974年4月22日、千葉県千葉市稲毛区出身。千葉商高から、本田技研を経て、97年のドラフト2位でロッテ入団。2000年オフにヤクルトへ移籍し、01年に中継ぎで2勝を挙げた。03年に近鉄、05年台湾・誠泰コブラズ。現役通算2勝1敗。ロッテ時代、投ゴロのボールがグラブに挟まって取れなくなり、グラブごと一塁に投げて打者走者をアウトにする美技をみせた。11年11月から大東大野球部コーチ。大東大は同年春、首都リーグ1部昇格、秋は1部4位。

 ■監物靖浩監督の話 社会で生き抜くのは大変なこと。野球だけで生きていくのは難しい。選手たちには野球を通じて社会を生き抜く力を養ってほしい。プロの世界を体験した寺村コーチは、野球では大成功を収めた人。知識と経験、それでもうまくいかなかったことを学生の目線で話してくれている。明るいキャラクターでフランクなコーチだと思う。

 

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