野球少年に夢託す!悔いのないプレーを

★元西武、中日 大友進さん(37)

2012.02.22


現役時代にはシュアな打撃と高い守備力で優勝に貢献。今はその経験を生かし、少年野球で指導している【拡大】

 1997年、松井稼頭央(現楽天)と1、2番コンビを組み俊足、好打の外野手として西武の優勝に貢献した。ファイトあふれるプレーが持ち味だったが、守備中のフェンス激突で右肩を故障したことをきっかけに、バラ色だった現役生活は暗転した。それでも「あのときのプレーに後悔はない」。現在は少年野球を指導し、悔いのないプレーをすることを熱心に説いている。(聞き手・米沢秀明)

 ■フェンス激突

 あのときのプレーがなかったら、と思うことはあります。ゴールデングラブを2年連続で取った次の年、2000年8月の神戸でのオリックス戦でした。勝ち越しタイムリーを打ったあとの守備で、フェンス際の打球に突っ込み、右肩を亜脱臼して関節唇を損傷しました。

 傷は治りましたが、それから思ったようなプレーができなくなりました。得意だったはずの内角に全くバットが出ない。この球をさばくことができないなんて…。絶望感が襲ってきて、焦る一方でした。トレード後もチャンスをもらいましたが、打率は上がりませんでした。

 だましだましできるようなレベルの野球でないことは、よくわかっていました。トライアウトを受けることになっていましたが、行きませんでしたね。故障のせいにするつもりはなかったのですが、そうしていた自分がいました。

 ■野球を離れたい

 引退後は野球を見る気にもなりませんでした。現役時代に少しやったゴルフのプロを目指そうと思い立ち、アコーディア・ゴルフに就職して、水戸ゴルフクラブで研修生をはじめました。フロント、キャディーマスターなどの仕事もあり、午前3時起きの4時出社という生活です。

 お客さんに「どうしてゴルフ場にいるんですか」と聞かれると、説明するのがつらかった。ティーチングプロの受験も、一発勝負ですから甘くない。2年ほどゴルフ場に勤務したとき、テレビ埼玉から野球解説の話をもらったのです。

 ■やはり野球

 もう一度、野球の仕事に戻りたいという気持ちは高まりました。最初は水戸から野球解説のために通っていましたが、球場に顔を出すと、なじみの選手や関係者たちが、「元気ですか」と声を掛けてくれる。やはり自分の舞台はこっちだと思い、ゴルフに一区切りつけることにしたのです。

 プロ野球OBクラブの野球教室に携わったことをきっかけに、子供たちに野球を教える喜びに目覚めました。月、火、木はコロナベースボールアカデミー平塚湘南校(神奈川)、金が入間野球道場(埼玉)、土日が世田谷サムライボーイズ(東京)です。合わせると、現在、約200人の子供の指導をしています。

 地方の野球教室にいく機会もありますが、一番熱心なのは四国の子供たち。父母も必死になって野球にとりくんでいる。東京の子は、おとなしいですね。失敗したらどうしよう、という子供が多いのです。

 でも、そんな気持ちで成功するはずがない。あと一歩突っ込まなければファインプレーは生まれないし、バットを振らなければ打てるはずがない。それで交代させられたら悔いが残るだろう、と伝えたいのですが…。

 自分は肩を故障してしまいましたが、思い切ってフェンスに突っ込んだ判断については後悔したことはありません。もし、いかなかったら後悔していたでしょう。そんなことも話しています。

 現役時代の西武は、本当に素晴らしいチームでした。東尾監督やチームの先輩、仲間といつまでも一緒にプレーしたかったです。もし機会があれば、プロの選手たちにも指導してみたいですね。

 ■おおとも・すすむ 1974年6月18日、茨城県日立市出身。日立工高で双子の弟とともに中堅手・投手として活躍し、3年の夏の県大会で準優勝。東京ガスを経て95年に西武にドラフト2位で入団した。96年後半から1軍に定着。97年は2番打者で優勝に貢献した。2000年8月に右肩を故障し、04年に中日移籍しその年に現役引退。現役通算打率・263、18本塁打、155打点。ゴールデングラブ2回。99年球宴ではランニング本塁打を記録している。現在は少年野球の指導にあたるほか、テレビ埼玉の解説者も務めている。

 

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