亡き母がいざなった“ゴルフの世界”

★元オリックス ゴルフレッスンプロの戸羽隆さん(41)

2012.02.29


バットをクラブに持ち替え、新たなスポーツの世界に挑戦している戸羽隆さん【拡大】

 JR東海道線・小田原駅前の室内ゴルフスクール「ゴルフパーク小田原」で、レッスンプロを務めている。ビデオによるスイング解析ができる最新機器を設置し、ハイテクでわかりやすい指導は生徒たちに人気だ。オリックス引退後にゴルフ界への転身を迷ったとき、背中を押したのは今は亡き母だったという。(聞き手・米沢秀明)

 ■ゴルフの道へ

 引退は20代前半ですから、まだ野球がやりたかった。2年間ほど神奈川県藤沢市で別の仕事をしていたのですが、スポーツの世界でもう1度勝負したいという気持ちがありました。あまり得意ではなかったのですが、ゴルフを目指しました。

 当時のスコアは120−130ぐらいだったと思います。今は子供のころからゴルフを始めている人が多いので、どこへ頼んでも「もう遅い」といわれました。練習するにもお金がかかります。

 でも、ゴルフへ踏み出すことができたのは、病気で伏せっていた母親のおかげです。引退するころから「もう長くない」という体調でしたが、母が亡くなったことで迷いがなくなりました。

 「人生は1度きりだ。金もうけや生活のことより、自分が悔いを残さないことが大事だ」。死に際し、そう母が教えてくれているように思えました。自分の命が尽きるとき「ああしておけばよかった」という人生を送りたくないと。野球と違って、ゴルフはすべてが自分の責任であるということも魅力に感じました。

 ■プロテスト

 シニアの今村実プロにレッスンを受けるようになり、28歳のころ湯河原カンツリー倶楽部の研修生になりました。朝4時起きでキャディー、雑用、マーシャル…なんでもやりました。お客さんの具合が悪くなったとき、救急車を呼ぶのも仕事でした。

 野球の影響でスライスばかりでしたね。研修生になったころのスコアは85。仕方がないのでドライバー禁止で、スプーンでティーショットしていました。

 2、3年でアンダーパーが出るようになってきましたが、プロテストとなると大変です。技術はもちろん、筆記試験やテーブルマナーまで実技があります。プロテストに合格したのは35歳のとき。湯河原カンツリーには9年お世話になりました。ツアープロへの道も簡単ではありません。その後、レッスンプロとしてがんばっています。

 ■ハイテク指導

 現在勤務しているゴルフスクールは、小田原駅東口から徒歩2分、全天候型です。スクリーンゴルフや、ビデオ撮影によるフォームチェックができるので、効果的なレッスンができますね。年齢、性別を問わず幅広くお客さんに来てもらっています。

 レッスンは、映像を見てもらうので説得力があります。ここをこうしてくださいといえますから。「スコアが縮みました」と言ってもらうのが一番うれしいですね。

 今思えば、プロ野球時代の自分は甘かった。18歳の世間知らずでした。世間はもっと厳しいものだという認識があれば、積極的にアピールして必死にプレーしていたでしょう。プロ選手になって満足したところがあった気がします。今ぐらい頑張っていればと感じます。

 まあ、それもいろいろ経験したからわかることなんでしょうけどね。

 ■とば・たかし 1970年8月27日、栃木県出身。佐野日大から88年ドラフト5位でオリックス入団。巧打の内野手として活躍し、90年8月、初出場初打席の近鉄戦で阿波野秀幸から中前安打を放った。肩、ひざの故障に悩まされ92年引退。現役通算22試合、28打数5安打3打点。2005年PGAティーチングプロ合格。現在は「インドアゴルフスクール・ゴルフパーク小田原」(神奈川県小田原市栄町1の14の48 ジャンボーナックビル6F (電)0465・24・4562)に勤務。

 

注目情報(PR)