元広島投手、東京・代官山でカフェ経営!店名がユニーク

★元広島、カフェレストラン「代官山 2−3Cafe Dining」を経営する小林敦司さん(39)

2012.04.11


投手からパティシエに華麗な転身を果した小林さん。代官山でも人気のカフェだ【拡大】

 広島の投手だった小林敦司さんは、ファッショナブルなブティックや飲食店が建ち並ぶ東京・代官山で、カフェレストラン「代官山 2−3Cafe Dining」を経営している。引退後に洋菓子の名店で厳しいパティシエの修行を積み、昨年4月にオープン。人気の自家製ベイクド・チーズケーキは、濃厚で甘さ控えめの絶品で、若者たちに大人気だ。(聞き手・米沢秀明)

 このチーズケーキ(700円)からすべてが始まりました。2年前に独立を目指し、インターネットで注文販売をはじめ、昨年待望のカフェをオープンをすることができました。

 にぎやかなエリアなので、週末は若い人たちでいっぱい。昼は生パスタのナポリタン(1000円)、夜はトマト鍋(1800円)なども人気です。赤いことから「カープ鍋」と呼んでいて、あぐー豚と野菜のヘルシーなメニューです。

 飲食業への興味は両親の影響でしょう。父親は、赤坂で「一つ木竹林草」(東京都港区赤坂3−21−14)という割烹(かっぽう)を経営しています。高校生のころから店を手伝ったりして、現役時代も遠征で戻ってくると顔を出しました。カープの投手会を開いてもらったこともあります。

 一方、母親も静岡・熱海でカフェをやっています。僕は引退後、自然に父親を手伝うようになり、2年半ほど和食の勉強をしたのですが、独立するために洋菓子の修行をしようと思い立ちました。どうせ独立するなら、これまでに全くなじみのない世界がいいと思ったからです。

 扉をたたいたのはタルトの名店「キルフェボン」でした。アルバイトでしたが、午前6時から終電までの立ち仕事。とても厳しい5年間のパティシエ修業でした。生地をつくるのは力仕事だし、休憩時間は1時間だけなので、野球よりきつい。女性のアルバイトが多いのですが、たった1日で辞めていく人を100人近く見ました。

 みんな自分より年下で、掃除や衛生面の管理も厳格。独立だけを夢みて頑張りました。生地作り、窯、ムースの3工程を回るのに5年かかった。でも今思えば、これほど身になる経験はありませんでしたね。

 自由が丘のカフェ、イタリアンの名店にも勤めて飲み物やパスタの勉強もしました。そして、ようやく持つことができたのが今の店です。

 店名の「ツースリー」は野球のピッチカウントから来ています。僕はマウンドで2−3になることが多かったので…。でもそこからの粘りには自信がありました。このカウントは、投手が打者を追い込んでいる“有利な状態”だと信じていましたから。

 高校時代は補欠だったのに、スカウトに声を掛けてもらえたのは幸せでした。普通は経験できないプロの世界を体験できたし、1勝挙げることもできました。サヨナラ本塁打を打ってもらって、「あっ、勝ったんだ」という感じでしたけど。

 実は昨年4月30日のオープン以来、1日も店を休んだことがありません。大みそかも元日も、お客さんに来ていただきました。一人前になるために、1年間は絶対に休まないと決めたのです。その4月30日はもうすぐ。2年目は休日をつくることができるかどうか、まだ決めかねています。

 自分もスイーツが好きだし、お客さんにおいしいと言ってもらえるのが一番うれしい瞬間です。夢はハワイでカフェを開くこと。これは本気で実現させたいです。

 ■こばやし・あつし 1972年12月8日、東京都北区出身。拓大紅陵高から、1990年のドラフト5位で広島入団。95年に1軍昇格し初勝利、主に中継ぎ投手として活躍した。96年に右ひざ靭帯(じんたい)の再建手術を受け、復帰後の99年には自己最多の30試合に登板。小林幹英投手との継投パターンは「あつかんリレー」と呼ばれた。2000年ロッテへ移籍。01年引退。現在は「2−3cafe」(東京都渋谷区猿楽町24の1、電話03・3464・8023)を経営している。

 

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