中畑監督が同期!六本木のクラブは絶好調

★元巨人など、東京・六本木でクラブ経営の外園正さん(54)

2012.04.18


飲食店経営の才能が開花した外園さん。根底には野球で培った人脈と礼儀作法があるという【拡大】

 東京・六本木ミッドタウンを背にして路地を入ったところに、しゃれた門構えの入り口がある。店内は雰囲気のいい音楽に包まれ、カウンターとテーブル席にいつもぜいたくな時間が流れている。巨人を引退後にオープンした同店は、昨年20周年を迎えた。右も左もわからないまま飛び込んだ世界で成功したのは、引退時に出した500通の礼状があったからだという。(聞き手・米沢秀明)

 同期は篠塚(和典前打撃コーチ)、横浜DeNAの中畑清監督らです。自分はドラフト外だったこともあり、なかなかチャンスも少なくて運を引き込んでこられなかったですね。

 入団は長嶋茂雄監督(当時)の1年目。定岡(正二)さんが前年に入団したこともあり、多摩川グラウンドは黒山の人だかりでした。

 大洋に行ってから打撃投手も兼任しましたが、将来性を考えて25歳が区切りと思っていました。当時からよく六本木には飲みにいっていたので、行きつけの店にお世話になって修行させてもらうことにしたんです。サラリーマン家庭に育ったので、逆に飲食業に興味があったんですね。

 引退するので、お世話になった方々に500枚はがきを書きました。「プロ野球で8年お世話になりましたが、第二の人生で頑張ることになりました。六本木でパブ修行していますのでお近くにお越しの際はお立ち寄りください」という内容で。うれしいことに中畑さん、江川さん、定岡さん…みんな来てくれたのです。店も繁盛しわずか11カ月の修行期間でしたが、独立してみようと思い「一度試させてください。駄目ならまた戻ってきます」と店を辞めて挑戦することにしました。

 これだけ来てもらえるなら、と何となく自信も沸いてきました。「ワッツ・アップ」と名付けた店は大盛況でした。13人しか座れない店でしたが、朝まで満員。補助席まで用意してもお客さんがはみ出してしまう。5年間営業して手狭になったので、その裏に現在の店を出したのです。

 この六本木7丁目が好きでした。当時は、八百屋さんがあったりして。家賃も高かったけど、強気で行こうと思って決断しました。33歳のときです。カップルでもいいし、カラオケもあるし、軽い食事もある。30代以上のお客さんが多いですね。下がタレントの生稲晃子さんの鉄板焼き店だから出前も取れる。

 快適なリラックスした時間を過ごして欲しいという思いです。20年やって、お客さん同士20組のカップルが結婚したのが自慢。恋人、結婚相手募集中の要望には応える自信があります。携帯で写真撮って、即合コンを企画できますから(笑)。

 野球で大成できなかった悔しさはありました。巨人から放出され、大洋で何とか巨人から1勝してやりたいと思ったものです。かなわなかったですが、「今もちゃんとやってますよ」というところは誇りです。景気のいい時代ではないですが、皆さんに支えられて頑張っていますよ。

 野球時代、球場に入るとき帽子を取る習慣が身についていて、今でも一礼してから店に入っています。

 ■ほかぞの・まさし 1957年7月14日、福岡県北九州市出身。本格派左腕投手として八幡大付高(現・九州国際大付高)時代、若松高戦で無安打無失点を達成。75年巨人にドラフト外で入団。79年に大洋に移籍し83年引退。91年からレストランクラブ「OUT SQUARE」(東京都港区六本木7の9の3 CREST六本木1F)を経営。(電)03・3796・7095

 

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