宮本2000安打を支えた2人の“恩人”

2012.05.08


宮本の2000安打は、長い間の努力の結晶といえる【拡大】

 ヤクルト・宮本慎也内野手(41)が4日の広島戦で、通算2000安打を達成した。1994年に同期入団した日本ハム・稲葉篤紀外野手(39)に続く快挙。私もヤクルトのコーチ時代、彼らがコツコツ努力する姿を見てきた。そろってプロ18年目で大輪の花を咲かせたことは、本当に喜ばしい。

 節目を前に、宮本は「守備を買われてプロに入ったから、自分でもまさか2000安打できるとは思わなかった。自分が一番びっくりしている」と語っていた。そんな“守備の人”が「まさか」の大記録を達成できたのは、2人の大恩人のおかげだ。宮本は「感謝する人はたくさんいるが、あの2人がいなければ今の自分はいない」と話す。

 まずは「野球のイロハを教えてもらった」という入団時の監督、野村克也氏だ。ドラフト2位の宮本だが、当時の正遊撃手は池山隆寛(現ヤクルト2軍打撃コーチ)というスーパースター。宮本は主に、勝ち試合の守備固めを期待された。

 打撃に関して野村監督には「引っ張るな。逆方向にだけ打て」としか指示されなかった。しかし「野球とは何か」「野球への取り組み方」など「生き残るにはこうすればいい、ということをたくさん学んだ」と感謝する。とりわけ「超一流ではなく、超二流になれ」という教えは大きな指針となった。

 打撃で転機になったのは、99年に宮崎・西都で行われた秋季キャンプ。野村監督を引き継いだ若松勉監督が、臨時コーチとして招いた中西太さんに打撃指導を頼んだ。中西さんの打撃理論は「下半身を重視して、ボールを呼び込み、強くたたく」というもの。基本練習では非常に軽いバットを使わせる。よく振れるため、体の正しい使い方を覚え込ませられるのが狙いだ。

 私も打撃コーチ補佐としてキャンプに参加した。連日、最後まで居残って練習を続けた宮本は、バットのヘッドの走りが見違えていった。

 私は「逆方向だけじゃなく、もっと引っ張ってもいいんじゃないか。本塁打も10本は打てるよ」とも助言した。翌00年に初めて打率が3割を超え、04年には11本塁打を記録した。

 宮本は「野村監督と中西さん、2人と出会えた順序がよかった。それが今につながっている」とも話す。野村監督にプロで長くプレーする基礎を学んだからこそ、監督が替わっても試合に出続けられた。そして試合で安打を量産できるようになったのは、中西さんの指導のたまものだ。

 大記録のもうひとつの重大な要素と考えているのは、08年のコンバート。私は横浜(現DeNA)のコーチに転出していたが、あるとき宮本が「三塁に行きますわ」と報告にきたのを鮮明に覚えている。痛みが続く右ふくらはぎが、遊撃を守ることを許さない状態にまでなっていたのだ。

 野球は走ることも、守ることも、打つことも全部、下(半身)から。球界では「ふくらはぎは1回やったら終わり」といわれ、繰り返すごとに状態は悪化する。かくいう私も、それで選手生命を絶たれた。

 宮本はこの年、通算1500安打に到達。より負担が少ない三塁に回ったことで選手寿命を延ばし、4年間で500安打を上積みできたと思う。

 これまで2000安打を打った打者は40人。その中で宮本は異色の存在といえる。大学、社会人を経ての達成は、ヤクルトの先輩の古田敦也に次いで史上2人目。さらにまもなく史上3人目の通算400犠打に手が届く(7日現在通算392)。遅咲きな上に、打席では制約が多い。自分を殺してチームに貢献してきた“脇役”なのだ。

 PL学園高時代から、チームでお山の大将だったことはなく、常にバイプレーヤー。打撃技術も少しずつ少しずつ伸ばしてきた。国際舞台で日本代表の主将を任され、プロ野球選手会の会長を務めるまでになった。こんな我慢強い男が打ち立てた金字塔は、多くの人を勇気づけることと思う。

 ■宮本慎也(みやもと・しんや) 1970年11月5日、大阪府吹田市生まれ、41歳。PL学園高2年時の87年、夏の甲子園で全国制覇。同志社大の2年春は関西学生リーグ首位打者。社会人のプリンスホテルから94年ドラフト2位でヤクルト入団。01年に日本新記録のシーズン67犠打。04年アテネ、08年北京の両五輪で日本代表キャプテン。06年WBCにも出場。ゴールデングラブ賞9度(遊撃6、三塁3)、昨年三塁でベストナイン初受賞。176センチ、82キロ。右投右打。

 ■杉村繁(すぎむら・しげる) 1957年7月31日、高知市生まれ。高知高時代は小柄なスラッガーとして「土佐の怪童」の異名を取り、高校3年時の1975年春の甲子園決勝では、原辰徳を擁する東海大相模高を自らの決勝打で破り優勝。同年ドラフトでヤクルトに1位指名され入団。87年限りで現役引退後は長く球団広報を務めた。00−07年はヤクルト、08−11年は横浜で打撃コーチなどを担当し青木宣親、内川聖一らを指導。水島新司氏の野球漫画「ドカベン」に登場する微笑三太郎のモデル。今年から本紙評論家を務める。

 

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