「裏切り者」なのか…松井秀喜氏、悲痛な大リーグ挑戦表明

2013.08.04


ヤンキースタジアムでの満塁弾デビュー。松井はヘルメットを上げてファンに応えた=03年4月8日【拡大】

 ■【話の肖像画】現代最高のホームラン打者・松井秀喜氏(5)

 〈巨人最終の2002年。松井秀喜はシーズン50本塁打を放ち、打点との2冠を制した。打率も自己最高の3割3分4厘を記録した。シリーズでは西武を下して日本一となり、終了後に大リーグ挑戦を表明した。会見では「これまで自分のわがままにふたをして考えないようにしてきましたが、最後まで夢というか、向こうに行きたいという気持ちが消えませんでした」と語った。少し異様とも思えたのは、自ら「何を言っても裏切り者といわれるかもしれない」と話したことだった〉

 僕はジャイアンツの4番バッターでしたから、責任あるポジションを任されていた人間として、フリーエージェントでチームを離れるということは、かなり大きな決断でした。

 ジャイアンツが僕に残ってほしいという気持ちは必ずあったと思いますから、それを振り切って(大リーグへ)行くということで、それなりの自分なりの覚悟は自然に芽生えました。

 「裏切り者」というあの表現が正しかったのかどうなのか、今でも分かりません。ただ、そう思われても仕方がないと思っていました。僕の気持ちとして、そう思ってしまった。そう映っても仕方がないと思ったんですね。

 〈悲痛ですらある。5月5日、東京ドームで行われた巨人の引退式でも松井はあいさつの中で、こう話した。「2002年、ジャイアンツ、そしてファンの皆さまに自らお別れを伝えなければいけなかったとき、もう二度とここに戻ることは許されないと思っていました」〉

 当時、たくさんの方々のジャイアンツでプレーしてほしいという声は、僕にも届いていました。それとは違う方向、違う場所に向かっていったわけですから。「裏切り者」という表現が正しかったかは分からないけど、僕なりに、そういう気持ちになっていたことは確かです。

 だから(引退式では)、あれだけのジャイアンツファンの方々が温かく受け入れてくださって、本当にうれしかったですね。

 〈それほどの思いをして、海を渡ったのだ。ヤンキース入りを果たして03年、ブルージェイズとの開幕戦ではエースのロイ・ハラデーから初打席初タイムリー。ツインズとの本拠地開幕戦では満塁弾のニューヨーク・デビューを飾った。万雷の拍手に、いったんベンチに入った松井が出てきて少し恥ずかしそうにヘルメットを振った、あのシーンが忘れられない〉

 トーリ(監督)にやれといわれてやっただけです。僕は自分から進んでああいうことをやりたいタイプじゃない。ハラデーからのタイムリーもラッキーです。なめていたんだと思いますよ。いいスタートを切れてよかった、とは思いましたが、先が長いことも分かっていました。日本よりもっと長いですから。これから先、いろいろなことがあるだろうと、ちゃんと自分なりに思っていました。(聞き手 別府育郎)

 

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