興南・我喜屋優編(4)「なんくるないさ」精神一喝 遅刻すれば置いてけぼり、雨期も屋外練習…

★興南・我喜屋優編(4)

2014.04.20


我喜屋優監督【拡大】

 34年間を過ごした北の地・北海道から、南の島・沖縄へ−。我喜屋優は39年ぶりに故郷での生活を始めた。2007(平成19)年4月。母校・興南の野球部監督に就任した。

 この変換は、単に野球をする場所が日本列島の最北から最南の地になっただけではない要素が多分に含まれていた。

 「野球選手として、人間として、ある程度出来上がった社会人に野球を教えるのとは違う。高校野球の指導者は、多種多様な責任を持たないといけない」

 大昭和製紙北海道を強豪に育て、休部してクラブチーム「ヴィガしらおい」として再出発したチームの面倒も見てきた我喜屋。社会人野球の監督歴は18年に及んだが、高校野球の指導者としては1年生だった。野球を教えるより、人間教育が優先するのが高校野球の世界だ。チームを強くするために、部員の生活態度を改めることから始めた。

 「社会人野球は厳しい一発勝負。なのに、沖縄の高校野球はゆっくりと流れていた。なんくるないさ(なんとかなるさ)の世界に浸りきっていた。これではダメだと思った」

 沖縄の県民性でもある“のんびりした”ムードは、野球にはいい影響は与えない。日頃の生活からきびきびとした雰囲気を作らないと、野球でも勝てない、という考えだった。

 移動のバスの発車時間に遅れた部員は、容赦なく置いていった。「野球のボールを0・1秒でも見逃したら打てない」。挨拶の徹底。道に落ちているゴミは必ず拾う。作ってくれた人への感謝を忘れないために、食事は残さない…。「一日中、五感を働かせる。小さなことを感じられる男は大きな仕事ができる」

 グラウンドでも、それまでの沖縄の常識を打破した。雨期には室内でしか練習しなかったが、長靴を履かせ、雨がっぱを着させてグラウンドに出した。踏ん張りが利かなくなるが、足腰の鍛錬には持ってこいの練習になった。年の半分は雪でグラウンドが使えない北海道で、あえて雪の上で練習し、ハンディを乗り越えてきた我喜屋にとっては、何でもないことだった。

 「練習でできないことなんて何ひとつないんです。監督ができないと思ったら、終わり。それ以上、強くならない」

 後には、まだ寒い春の甲子園出場に備えて、氷水に手を入れてから練習させたことさえある。

 確固たる信念。寒い北海道で、そして厳しい社会人野球で培った我喜屋流のチーム作りは、高校野球わずか3カ月で実りのあるものに変わった。

 その夏、興南は甲子園に出場。我喜屋は、母校を実に24年ぶりの大舞台に導いた。 (敬称略)

 ■我喜屋優(がきや・まさる) 1950年6月23日、沖縄県玉城村(現南城市)生まれ。沖縄の本土復帰前の68年、夏の甲子園大会に興南高野球部の4番・主将として出場し、沖縄県勢初のベスト4に。卒業後、大昭和製紙富士−大昭和製紙北海道へ。74年に都市対抗で北海道勢初の優勝に貢献。引退後は大昭和製紙北海道の野球部監督も歴任。2007年に興南高監督に就任し同年夏、24年ぶりに甲子園出場。その後09年の春の大会から、春夏ともに2年連続出場し、10年に春夏連覇。就任3年間で4度甲子園出場し、全国制覇1度。監督として甲子園通算12勝3敗。

 

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