興南・我喜屋優編(5)春夏連覇へ揺るがぬ信念 不調の4番代えろの声も怒声浴びせ突っぱね

2014.04.27


センバツを制し、選手に胴上げされる興南・我喜屋監督=2010年4月3日【拡大】

★興南・我喜屋優編(5)

 2007(平成19)年。初めて高校野球の指導者となり、わずか3カ月で母校・興南を夏の甲子園に導いた男を、アマ野球関係者は「さすが我喜屋さん。ツボを心得ている」と大きく評価した。選手、監督として36年間も厳しい社会人野球の世界を生き抜いてきた経験は、伊達ではなかった。

 その夏、1回戦で岡山理大付を3−2で破ると、2回戦では文星芸大付に2−5と敗れたが、我喜屋には大きな自信を与えた。自分の信念が間違いではないことを実感した。

 「練習でできないことなんて、何ひとつない。指導者ができないと思ったら、そこで終わってしまう。それ以上は強くならない」

 「いい水といい風を与えれば、間違いなく選手は成長してくれる」

 我喜屋の野球が大きな花を咲かせるのは、そのわずか3年後だった。

 2010年。春のセンバツでは智弁和歌山・高嶋仁、帝京・前田三夫、大垣日大・阪口慶三、日大三・小倉全由…と全国制覇の経験のある、名だたる名将たちとの戦いを制して、沖縄県勢としては3度目、2校目の優勝を飾った。

 「普通なら、春の優勝で満足する人がいるだろうが、そうではなかった」

 我喜屋には大きな目標があった。沖縄県勢がまだ成しえていない、夏の選手権の制覇だった。

 春の優勝旗を手にした翌日、満足感に浸る選手たちを大阪市内の宿舎近くの公園に連れ出した。その時、桜は満開。

 「花を支えているのは枝と幹だ。それを力強く支えているのは、目には見えない根っこだ。一度、気持ちを切り替えて、根づくりから始めよう」

 選手たちに、初心に戻ることを求め、早々と夏へのスタートを切る。

 そして再びやってきた夏の甲子園。圧倒的な打力で強豪を連破して勝ち上がった。

 ただ、4番打者の真栄平(まえひら)大輝だけが、打撃不振をかこっていた。そんな時、周囲からは我喜屋に「真栄平を代えろ」という声が届いた。だが、我喜屋は「お前が監督か!!」と怒声を浴びせて突っぱねた。

 「彼がこれまで、どれだけ裏方としても頑張ってチームを支えてきた選手か…。4番としてだけではなく、リーダーとしても頑張ってきた。それを、私も選手たちも知っていた。外野にいる人間は、それを知らない。代えるつもりはまったくなかった」

 チームのために身を粉にして働く選手、花を支える、目に見えない根っこの必要性−。野球の指導者としての我喜屋の信念は揺るがなかった。

 春夏連覇へ、最大の激闘となった報徳学園との準決勝で、その真栄平がヒーローになる。 (敬称略)

 ■我喜屋優(がきや・まさる) 1950年6月23日、沖縄県玉城村(現南城市)生まれ。沖縄の本土復帰前の68年、夏の甲子園大会に興南高野球部の4番・主将として出場し、沖縄県勢初のベスト4に。卒業後、大昭和製紙富士−大昭和製紙北海道へ。74年に都市対抗で北海道勢初の優勝に貢献。引退後は大昭和製紙北海道の野球部監督も歴任。2007年に興南高監督に就任し同年夏、24年ぶりに甲子園出場。その後09年の春の大会から、春夏ともに2年連続出場し、10年に春夏連覇。就任3年間で4度甲子園出場し、全国制覇1度。監督として甲子園通算12勝3敗。

 

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