龍谷大平安監督・原田英彦編(1)「平安」とともに生き今でも生粋のファン

★龍谷大平安・原田英彦編(1)

2014.05.25


今年のセンバツで念願の優勝旗を手にした原田監督【拡大】

 「龍谷大平安ボールパーク」は京都市伏見区醍醐の山肌にある。2012(平成24)年の春、総工費9億円以上を投じて完成した「平安野球」の新しい本拠地だ。両翼100メートル、中堅120メートル。シャワー室付きのクラブハウスなどもある豪華なグラウンドで、原田英彦にとってのサプライズな出来事があった。

 今春のセンバツ大会を制覇した直後のある日。グラウンドに足を踏み入れた原田の目に飛び込んだのは、現役の選手たちだけではなかった。かつての教え子である多くのOBたちの、人の波だった。みんな、原田自身初の甲子園優勝を祝福するために、内緒で待ち構えていた。感激屋の原田は、また涙した。

 原田は5月19日で54歳になった。指導者としては脂が乗った時期。まだまだ若いが、龍谷大平安の監督になって、もう22年目に入っている。

 1908(明治41)年創部で107年目という伝統と実績を誇る名門の歴代監督の中で、最長政権となって久しい。多くの教え子たちに「お前達はこれからも平安の野球部員や。俺の後輩や」と言って社会に送り出してきた。その教え子たちからの祝福は、監督冥利に尽きるものだった。

 夏の選手権は3度の優勝を誇り、全国最多の春夏通算70度の甲子園出場という名門の龍谷大平安にはこれまで、なぜか春の優勝旗がなかった。決勝進出の経験さえなかった中で、今春、原田と選手たちは「日本一になります」と宣言してセンバツ大会に臨んだ。

 その通りの凱歌を挙げた原田は、インタビューで興奮気味に話した。

 「ありがとうございました。卒業生、OB、ファンの方々…。色々な方に期待していただいて、そこを奴らがやってくれました。ホント、褒めてやってください。監督という立場ではなく、平安ファンとして本当にうれしいです」

 アルプススタンドの大応援団の前で、選手たちによって3度、胴上げされると涙は止まらない。応援団と一体になった万歳三唱が甲子園に響き渡った。

 優勝インタビューでも言葉にしたように、原田は監督になってから数えきれないほど「平安ファン」と公言してきた。「生まれついての○○ファン」という言葉はよく聞くが、高校野球の特定チームを示す人は少ない。それも、そのチームの監督が言うのは珍しい。

 原田は小学生でファンになり、実際に平安野球部に入り、監督にもなった。これまでの人生の全てが「平安」とともにあった、といってもいい。 (敬称略)

 ■原田英彦(はらだ・ひでひこ) 1960年5月19日生まれ、京都市出身。平安高(現龍谷大平安高)を卒業後、社会人の日本新薬では都市対抗野球大会に10度出場、主将も務めた。93年に母校の監督に就任。甲子園出場は春7度、夏6度。97年夏の甲子園では川口知哉(元オリックス)を擁して準優勝。2014年春初優勝。通算成績は23勝1分け12敗。

 

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