元PL学園・中村順司編(1) “監督不在”のまま1年半父母やOBから批判渦巻き

★元PL学園・中村順司編(1)

2014.08.03


正井校長が監督として臨んだ大阪大会では決勝まで進んだが、大阪桐蔭に敗退【拡大】

 中村順司(67)がPL学園の監督の座を退いてから、はや16年が経った。その間、監督は河野有道(甲子園8勝)−藤原弘介(同4勝)−河野有道(同2勝)と代わったが、河野の2度目以降は“監督不在”という期間が1年半も続いている。

 昨年2月、部員同士の暴力事件で6カ月間の対外試合禁止処分を受け、河野がその責任をとって退任。別の不祥事の報告遅れで部長も謹慎となった。処分明けの秋の大阪大会は野球経験のない校長の正井一真が「部長」登録でベンチ入り。準優勝して進出した近畿大会では「監督」登録した。

 今春の大阪大会も同様で、とうとう今夏の大会までも、事実上の指揮官不在で臨まざるを得なかった。正井校長は采配は振るえない。中村が春夏連覇した1987(昭和62)年の中軸だった、深瀬猛らのコーチ陣が大まかな作戦を試合前に授け、試合中は選手同士でサインや選手交代を決めて戦って決勝まで進出したが、ここまでが限界。大阪桐蔭に大敗し、2009(平成21)年以来の甲子園は夢と消えた。

 正井校長は今大会中、「このチームが負けるとすれば、それは大人の責任」と語っていた。新監督の人選作業は正井校長を中心に行っている。だが、何人もの候補を“上申”しても、最終的に決定を下すPL教団からの承諾は得られないまま、ここまで来てしまった。

 超名門チームの異常事態。大きなハンディを抱えながら決勝まできた選手には称賛の声が送られた一方で、いつまでも監督を決められない学校とPL教団には、父母やOBからの批判が渦巻いている。

 今年の野球部OB総会はその話題で持ち切りとなり、幹部からは「情けない事態で、OBとしても恥ずかしい」という言葉が出た。OB会として、この問題に“介入”できないもどかしさがある。あるOBは言った。

 「こうなったら、中村さんに戻ってきてもらえばいいじゃないか。中村さんなら、誰も文句は言わない」

 1998(平成10)年のセンバツ出場を最後に、51歳でPL学園の監督から勇退した中村は今、母校でもある名古屋商科大の監督の座にある。自分が最強時代を築いたPL学園の現在の危機を、どう感じているのか。

 中村は今月5日で68歳になる。顔は丸みを帯び、頭髪もすっかり白くなった。PL野球部OBで、日大東北(福島)の監督を務める長男の猛安(43)は今夏、2年連続で県大会の決勝まで進んだが、昨年に続いて聖光学院に敗れ、監督親子二代の甲子園出場の快挙はまた持ち越しとなった。

 中村にとって今年の夏は、PL学園のことも含め、離れたはずの「高校野球」が特別に気になったことだろう。 (敬称略)

 ■中村順司(なかむら・じゅんじ) 1946年8月5日生まれ、福岡県出身。PL学園高を経て、名古屋商科大に進み、卒業後は社会人野球のキャタピラー三菱でプレー。76年にPL学園高のコーチとなり、80年秋に監督就任。98年センバツを最後に勇退するまで19年間に甲子園に春夏合わせて16度出場。87年の春夏連覇のほか、春は81、82年、夏は83、85年に全国制覇。監督としての通算58勝10敗は史上2位。

 

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