【高校野球100年 発掘・事件史】甲子園で大学生が“助っ人”登板 これ以降「18歳以下」に

2015.12.12

 ついこの間まで大学野球のリーグ戦で投げていた投手が、今度は高校野球の甲子園大会で登板した…。現在ではあり得ないことが起こった。高校野球の創生期には、信じられないことが何度もあった。

 それは1920(大正9)年夏の、全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)での出来事だ。

 1回戦で鳥取中(現鳥取西)と対戦した九州代表の豊国中(福岡、現豊国学園)の選手として登板したのは、小方二十世(おがた・はたよ)投手だった。

 小方はその前年、法大の投手として当時の四大学リーグ戦に出場。慶大と早大との計4試合に登板し、1度は右翼手としても出場した記録があっただけに、大会関係者はびっくり仰天した。物議を醸したのはいうまでもない。

 小方は青山学院中(東京)の出身で豊国中のOBでも何でもなかった。なぜ、豊国中の選手として出場するに至ったかは不明だ。

 大会が始まってから「大学から中学に転校するのはおかしい。出場する資格はない」という声が当然のように上がった。ただ、当時の出場選手規約は曖昧で、当該チームの校長が認めていれば、主催者側も文句はいえなかった。

 で、実際の試合はどうだったのか。鳥取中との試合で豊国中の背番号「1」のエースとして先発した小方だが、3回に4点を奪われて降板。外野に退いた−という記録が残っている。大学生が高校生(当時、中学生)にKOされてしまったのだ。

 この“事件”以降、大会主催者側は選手の出場資格制度の確立に乗り出す。2年後の1922(同11)年には、年齢制限を18歳以下とし、以後も留年者や落第者、外国からの帰国者らに対する制限を設けて、現在に至っている。

 この大会は、第6回大会。大学生を“助っ人”に頼むほど、当時は全国大会で勝ちたいチームがあった−ということだろう。野球熱が大正時代から高かったことを証明する出来事でもある。

 豊国中は翌年も全国大会に出場して4強まで進んだが、以後、甲子園出場はない。 (敬称略)

 

産経デジタルサービス

産経アプリスタ

アプリやスマホの情報・レビューが満載。オススメアプリやiPhone・Androidの使いこなし術も楽しめます。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

自分らしく人生を仕上げる終活情報を提供。お墓のご相談には「産経ソナエ終活センター」が親身に対応します。