★西武編
恩人の故・根本陸夫氏の西武退団から3年後の1996年1月、清原和博容疑者は胸中に決意を秘めていた。
以前までの生活習慣を見直し、鶏のささみを主に脂身を控えて禁酒。100キロを超えた体重を80キロ台まで落とし体質改善に臨んだ。このシーズンで好結果を残し、FA権を使って巨人に移籍するつもりだったのだ。
清原容疑者は95年シーズン中にFA権を取得。だが、この年は2度にわたった右肩の脱臼の影響で打率・245、25本塁打と成績は振るわず、FA権行使を控えた。
当時の球団幹部は「どうにもならない心の中のイライラに必死に耐えているようだった」と振り返る。それだけに96年は勝負のシーズンとして燃えていたのだ。
その清原容疑者が2月の米ハワイ・マウイキャンプで大騒動を起こした。舞台はチーム宿舎だった西武グループ系列ホテルの一室。現地での練習最終日の夜だった。
翌日の日本への帰国を控え、清原容疑者が“打ち上げ”と称して、女性も交えてドンチャン騒ぎを展開したのだ。複数の関係者によれば、同容疑者は泥酔状態で、部屋の壁はボコボコに穴が空き、調度品などは見るかげもなく壊されていた。