同級生だった元日本ハム・西浦氏が語る黒田の高校時代 ひと晩中走らされたノーコンの“クロ”  (1/2ページ)

2016.07.27

日米通算200勝を達成した黒田
日米通算200勝を達成した黒田【拡大】

  • <p>西浦氏は黒田の高校時代のエピソードを明かしてくれた</p>

 日米通算200勝を23日・阪神戦(マツダ)で達成した広島・黒田博樹投手(41)。「あの黒田さんがまさか…」と思ったのは、チーム関係者だけではない。右腕の母校である大阪・上宮高時代の同級生エースで、内野手として入団した日本ハムでは4番も務めた西浦克拓氏(41)=大阪市内の整骨院勤務=が、下積み時代を明かした。

 ■地味な3番手

 僕らの年代の上宮は甲子園に出場できませんでした。でも3年生だった1992年の夏は、実力的には大阪NO・1だったと思います。エースの僕、同級生の左腕・溝下進崇(現大阪ガスコーチ)に次いで、黒田は3番手投手。愛称は“クロ”。口数が少なく目立たないタイプでした。

 高校時代のクロ? 走らされてたイメージしかない(笑)。ストライクが入らないから、罰として。当時の山上烈監督に「走っとけ」といわれたら「やめていい」といわれるまで、グラウンド外周のランニングコースをずっと走り続けなければなりませんでした。

 ■最長2晩連続

 当時のクロはノーコンで、練習試合に先発すると5イニングで10三振を取るけど、同時に10四球を与えるような投手でした。大阪・太子町の野球部施設での夏合宿中、練習試合で結果が悪いと他のみんなが練習を終えて合宿所に引き揚げても、ひと晩寝て朝起きても、まだ走らされていました。夜が明けたからといって終わりとはかぎらない。翌日の試合中も走っていたりする。最長で2晩連続で走っていたこともあったんじゃないかな。

 でも食事は下級生がこっそり持っていきました。夜も監督が寝ている間に寝ていた。そうしておかないと体が持たない。しかし、走っていないところを監督に見つかるのはやばかった。

 

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