【俺の人生第二幕】多村仁志氏「ボロボロで辞められて良かった」  王氏からねぎらいの言葉「君は幸せだね」 (1/2ページ)

2017.01.18

多村仁志氏
多村仁志氏【拡大】

  • <p>2006年WBC第1回大会では優勝の原動力となった</p>

 異色のスラッガーだった。昨季限りで現役を引退した多村仁志氏(39)。2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)第1回大会で日本代表最多の3本塁打、9打点をマークし優勝に貢献するなど、“短期決戦”で無類の強さを発揮。一方、この男ほど毎年のように大きなケガに悩まされ続けた選手はいなかった。 (聞き手・山戸英州)

 −−06年WBC第1回大会での大活躍は鮮烈だった

 「まさか、レギュラーで出られるとは思わなかった。いまでも王さん(ソフトバンク球団会長=当時日本代表監督)に、なぜレギュラーで使ってもらえたのか聞けていないです。あのとき外野手はイチローさん、福留、青木、和田一浩さん(西武)、金城(横浜=現横浜DeNA)とそろっていましたから。(短期決戦に強いのを)見抜いていたんですかね。僕は目の前の1試合に全力でいく。だからケガも多かったけど、ファインプレーもできた」

 −−短期決戦に強い秘訣は

 「僕は(過去のことを)まったく覚えていない。(横浜時代の同僚の)金城は事細かく覚えている(笑)。常に(頭の中を)リセットしていたから交流戦や短期決戦で打てたのだと思う」

 −−考え過ぎない

 「昔からそんな感じ。だからWBCでも打てたと思う。実は学生の頃は日本のプロ野球を見ていなくて、選手も知らない方が多かった。どちからいうとメジャーを見ていた。小学校の頃は父親がNHKのBSで時々やっていたメジャー中継を録画してくれて、それを見て興奮してテンションを上げて壁当てをしていた。懐かしいね」

 −−プロ入り当初、自分に合う指導者との出会いがあった

 「(横浜の)2軍打撃コーチだった竹之内雅史さんは『打ち方、構え方は何でもいい』という方針。打席ごとに変えていました。長打力が備わったのは竹之内さんのおかげです。球団からは『右打者の長距離砲がいない。多村、お前がやれ!』といわれて、竹之内さんとボールを真上に打つ練習から始まり、夜間練習もよくやった。そうするうちに急に打球が飛ぶようになった。それが自分の打撃の基礎になりました」

 

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