日米野球の架け橋となったアイク生原氏、実弟・生原伸久氏が語る秘話 留学中の山本昌氏に「スクリュー投げろ」 (1/2ページ)

2017.05.19

日米野球の架け橋となった故アイク生原氏
日米野球の架け橋となった故アイク生原氏【拡大】

  • <p>アイク氏の実弟、生原伸久氏</p>
  • <p>「東京オリンピック野球復活・陰の立役者」</p>

 日本人初の大リーグ・フロントとしてドジャースのオーナー補佐兼国際担当を務め、日米野球の架け橋となったアイク生原氏(本名・生原昭宏=1992年死去、享年55)の知られざる生涯をつづった「東京オリンピック野球復活・陰の立役者」(電子書籍)が幻冬舎から出版された。筆者でアイク氏の実弟、生原伸久氏に聞いた。

 −−2020年東京五輪で野球が復活するが、1984年ロス五輪で公開競技として野球が採用された際、実現に奔走したのがアイク氏だった

 「野球を五輪の正式種目にしたいと思ったドジャースの元オーナー、ピーター・オマリー氏の下で、兄は実現に向けて世界を駆け回りました。結局は公開競技にとどまりましたが、日本が優勝したときは男泣きでした」

 −−早大時代は捕手。社会人から亜大野球部の監督となりチームを東都3部リーグから1部に引き上げたあと、なんと27歳で単身渡米

 「私も含め家族は皆、驚き大反対でしたが、兄は一度言い出したら聞かない人でしたから。亜大を1部に引き上げたが、本場で野球の勉強を一からやり直したいというのが動機でした」

 −−靴磨きからのスタートだった

 「マイナー選手のユニホームの洗濯や靴磨きからスタートしました。フロントの仕事をこなすようになり、オマリー家の信頼を勝ち取りました。渡米時は英語を話せませんでしたが、1年もしたら流ちょうに話していました」

 
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