J監督で初の通算100勝を達成して香川の素質も見抜く 清水秀彦氏

★Jリーグ監督時代に初の通算100勝を達成NPO法人「H・SSPORTSCLUB」設立・清水秀彦理事長

2012.10.05


清水氏は子供たちの指導に情熱を燃やす【拡大】

 Jリーグで監督通算135勝を挙げている清水秀彦氏(57)が、被災地の宮城県で奮闘している。2004年に仙台でNPO法人のスポーツクラブを立ち上げ、無名だった日本代表MF香川真司を東北選抜に抜てき。また昨年の東日本大震災では、自らも被災した。「子供に笑顔が戻ればみんなが元気になる」と、ボランティアを続けている。 (聞き手・夕刊フジ編集委員 久保武司)

 −−NPO法人の理事長を

 「オレらしくないよね(笑)。でも、日本のサッカーって『教科書』があって教え方も同じ。選手も同じタイプばかりになってきた。それなら自分でやってみようと立ち上げた。やっていないことを偉そうにいうのは主義ではないしね」

 −−そこで出会ったのが18歳の香川

 「高校の先生たちは“あんなに体の線が細くてドリブルだけの子は無理だろう”と言っていた」

 −−それでも監督をしていたU−18東北選抜で起用した

 「まさか、マンチェスター・ユナイテッドの選手になるとは思わなかったけどね。でも『きちんとボールを持てる』『アイデアがある』『視野が広い』−。面白い選手になると確信したね」

 −−昨年の3・11は仙台にいた

 「子供たちのところに行く途中だった。4日間避難所にいました。毎日おにぎり1個の生活。子供たちやお年寄りもたくさんいて、まずは優先しないといけない。言えないことはあるけれど、大震災が起きた場合、絶対に必要なのは、まず水だと実感した」

 −−避難所の様子は

 「震災の翌朝、子供たちがどこからかサッカーボールを拾ってきて蹴り出した。それも笑いながら。その光景を放心状態で見ていた大人やお年寄りが、笑いながら応援するようになった。サッカーって本当にすごいと改めて思った」

 −−震災をきっかけに、夏休みに子供たちとキャンプを始めた

 「毎年夏、バス6台をチャーターしてサッカーとバーベキュー大会をすることを決めた。もちろん被災者からは1銭ももらっていません。費用は4、500万円かな。ちゃんとお土産のユニホームも作ってプレゼントしている。いくつになってもそのユニホームを見て思い出してほしいから」

 −−2003年に仙台の監督を最後に現場から離れているが

 「すごく充足感があるんだよね、監督の仕事は。36歳から強いチームも弱いチームも監督をやらせてもらって、20年で4回もクビにもなって、天国も地獄もみてきたけど、生まれ変わっても監督はやる。ただ監督のオファーをもらっても、子供たちに教えることは絶対にやめないよ」

 ■清水秀彦(しみず・ひでひこ)1954年11月4日、東京都生まれ、57歳。現役時代はMF。浦和市高、法大で全国制覇し、77年に日産自動車サッカー部(現横浜M)に入団。88年に現役引退し、91年に同部監督に就任。93年のJリーグ開幕戦の勝利監督になった。96年福岡、98年京都の監督を歴任。2001年には仙台をJ1に昇格させた。02年にJリーグ初の監督通算100勝を達成。04年にNPO法人「H・S SPORTS CLUB」を設立。

 

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