【ジーコの想い】五輪出場目指す19歳に訪れた「ミュンヘンの悲劇」 (1/2ページ)

2015.02.18


18歳でトップチームに昇格したジーコ。“ひ弱”というレッテルを跳ね返していった((C)ZICONAREDE)【拡大】

 ジーコには現役時代、ブラジル代表をめぐり、かなり傷ついたエピソードがある。そのひとつが、1972年ミュンヘン五輪にまつわる話だ。

 前年の71年、当時18歳のジーコはアマチュアながらフラメンゴのトップチームに引き上げられたものの、監督から「体が細すぎる。ひ弱だ」と判断された。「必ずこの世界で成功してやる」との一心でチャンスを狙う一方で、その監督は成績不振で解任された。

 後任は、のちにブラジル代表を指揮し、コーチ、監督として2度のW杯優勝に導いたザガロ氏。だが、「お前は全てにおいてまだ子供だ」と突き放された。これをきっかけに、ジーコは体力強化に取り組み、少ない出場時間ながら次第に頭角を現し、ミュンヘン五輪ブラジル代表に初選出された。

 本大会出場がかかったアルゼンチン戦で貴重な決勝点を挙げ、1−0の勝利に導いたジーコは、代表チームで初めてヒーローになった。

 五輪代表監督から「本大会のメンバーに選びたいが、このままフラメンゴでプロ契約を続けていては、アマチュアだけに出場資格がある五輪(当時)に出場できない。ユース・チームに戻ってくれないか」と言われた。

 19歳のジーコにとって困難な選択だった。「やっとのことでたどり着いたプロ契約。両親に迷惑をかけず、自分の稼いだ金で生活を始める。それができかけていた」。とはいえ、最後は「全ては国のため。ブラジルのために五輪という大舞台で優勝して金メダルを持ち帰るため」とアマチュアに戻る決断をした。

 

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