ジーコは日本に15年間住んでいた。2006年に日本代表監督の契約が満了となり、1年ぐらいたったある日、「10代の頃すでにブラジルと(地球の)反対側にある日本に対し、不思議な感情をもっていたんだ。何か他人とは思えないような」と笑いながら話した。
ジーコが10代の頃、日本で1960(昭和35)年に一世を風靡した東映初のSF特撮作品「ナショナルキッド」がブラジルに“輸入”されていた。「メード・イン・ジャパンのオレの永遠のヒーローさ」と、よく言っていた。
そんなジーコが日本で生活していくためのカギとなったのは食生活だったが、実はかなりの食わず嫌いであることはあまり知られていない。
好物のレパートリーは少なく、しかもローテーションがあった。刺し身、しゃぶしゃぶ、鉄板焼き、韓国焼肉の順番だった。ただ、刺し身は大好物なのにすしはダメだった。ブラジルではパサパサの食感のタイ米が主流で日本米が苦手だったからだ。
ジーコが鹿島に所属していた時代に、選手のコンビニ通いを厳禁にした話は有名。だが、代表監督時代には「ブラジルにはこの味はない」とコンビニのから揚げを好んだ。各地のコンビニにジーコが買い物に訪れると店員が目をシロクロさせて驚いていたものだ。
日本食ローテの中で、ジーコがもっとも好んだのはしゃぶしゃぶだ。特に「和牛こそ世界一の牛肉だ」と目がなかった。日本を離れる前、「鉄板焼きの日本人シェフと和牛をリオに連れて行きたい。オレは本気だぞ」とも言っていた。
もっともブラジリアン・バーベキューには「ブラジル牛が最適。和牛は合わない。奥が深い」と胸を張る62歳は、今も基本的には肉食系だ。
ブラジル人は特に中華などの辛い味が苦手だが、かつて、私の義父がジーコを食事に招待した際、シメに紅生姜がのった九州ラーメンを無理やり食べてもらうことになった。
これが意外にも気に入ったようで、ある時の代表合宿の食事時間に、それまで見向きもしなかったラーメンを凝視するジーコがいた。
「おい、スズキ。これはあのときのヌードルと同じものか?」。大声で聞かれたが、生憎それはしょう油ラーメン。残念そうな顔をしていたが、その近くに紅生姜を見つけると、実にうまそうに平らげていた。
「郷に入れば郷に従え」。ジーコと日本食の相性が良くなければ、果たして日本で成功していたかどうか。 (元日本代表通訳・鈴木國弘)
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「PENSAMENTO POSITIVO」(ペンサメント ポジティーボ)はポルトガル語で「ポジティブシンキング」「頑張れ」の意。ジーコがよく色紙に書く言葉の1つ