ここまで健闘するとは…井原監督の手腕で福岡は生まれ変わった

2015.11.26


今季の井原監督の指揮は見事だった(右は岐阜・ラモス監督)【拡大】

 今季のJ2で3位となり、J1昇格プレーオフに出場する福岡。井原正巳監督(48)は横浜マリノスの前身、日産自動車サッカー部時代からの後輩だが、“監督1年生”として、ここまで健闘するとは思っていなかった。

 筑波大をへて日産サッカー部に入団してきた当時、彼には大学NO・1選手という“肩書”があった。真面目な男でしっかり者である。これに無類の負けず嫌いという性格が加わり、どんな場面になってもジタバタしないメンタル面の強さがある。「こいつ、いつかは監督をやる。やらせたいな」とずっと思っていた。

 だが、彼は現役を引退してから2008年北京五輪の日本代表で、さらにJ1柏でコーチを務めていた。長い間コーチを続けていると監督就任への気持ちが薄れていくものだ。それだけに今季、現役時代には縁もゆかりもなかった福岡というチームの監督に就いたことに、驚いた。

 就任以前の福岡はJ2でも苦戦していた。今季の開幕当初もスタートダッシュできなかった。だが、彼がこれまで培ってきた経験と、修羅場でも慌てない的確な指示で生まれ変わったチームは白星を重ね続けた。

 マリノス時代の後輩だった三浦文丈をコーチ、鈴木健仁をスカウトとして連れて福岡に乗り込んだことも大きい。マリノスOBの3人で絶妙なコミュニケーションを取り、見事にチームを運営していた。

 本来なら「古巣のマリノスで監督を」という思いはあっただろう。それでも新天地で、しかもJ2のチームから指揮官人生のスタートを切ったことに拍手を送りたい。

 九州といえば野球・ソフトバンクの牙城だが、まずはプレーオフで勝ちきってJ1昇格を決め「福岡にサッカーの井原あり」をアピールしてほしい。

 ■清水秀彦(しみず・ひでひこ) 1954年11月4日、東京都生まれ、60歳。浦和市高、法大で全国制覇。77年に日産自動車サッカー部(現横浜M)に入団。88年に現役引退し、91年に同部監督に就任。93年のJリーグ開幕戦で勝利監督になった。96年福岡、98年は京都の監督を歴任。2001年に仙台をJ1に昇格させ、02年にはJリーグ初の監督通算100勝を達成。04年にNPO法人「H・S SPORTS CLUB」を設立。

 

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