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ハンカチ王子ご用達!
〜八木下帽子物語〜

1.早大、巨人…伝統の野球帽作り70年

2.長嶋さんが愛したこだわりの技術

3.長嶋監督のこだわり「ミッドナイトブルー」


1.早大、巨人…伝統の野球帽作り70年


【通算2000を超える高校が使用】

早大進学が内定した斎藤は伝統の八木下帽子を4年間愛用する
早大進学が内定した斎藤は伝統の八木下帽子を4年間愛用する
 Made In Japanの名品は、その世代のスーパースターを彩り続ける。親子2代にわたり、巨人の帽子を球団創設当時から約70年間作り続けた職人が今度は、野球界のスーパースター候補をサポートすることになった。巨人の帽子を手がけることからは、手を引くことを余儀なくされたが、ハンカチ王子の登場で再び、スポットライトが当たる。

 昨年夏に早稲田実業高を全国制覇へ導いた斎藤佑樹(18)は、早稲田大学へ進学することが内定し、既に早大の練習に参加中。4月の東京六大学春季リーグ戦のベンチ入りを果たせば、晴れて早大伝統の試合用ユニホームを受け取ることができる。

 早大のユニホームと、その系属校である早実のユニホームはそっくりだが、違いが3つある。

 (1)ヘルメットが、早実は白、早大はえび茶

 (2)早大のユニホームはえり付き

 (3)帽子の形状

 帽子は、早実が一般的な野球帽であるのに対し、早大はミカンを半分に割ったような、独特の形。頭にフィットし、頭蓋骨の形が露になる。ちょうど、小・中学生が体育の授業中にかぶる帽子のような形状といえばわかりやすいだろうか。

 「一見、変てこな形状なのですが、ワセダ伝統の形ですし、かぶっている間になんともいえない味わいを感じるようになるんですよねぇ…」と、早大OBで元日本ハム捕手の荒井修光(現球団職員)が振り返る。

 そんな早大の帽子を作り続けているのが、埼玉県越谷市の「八木下帽子」。2代目の代表取締役・八木下邦夫(66)は、「早大の帽子の形とデザインは、少なくとも戦後は一度も変わったことがない」と、胸を張る。

 早大は02年夏から、世界的なスポーツメーカー「アディダス」とパートナーシップ契約を結んだ。グラブとバット以外の用具(ユニホーム、ジャンパー、試合用スパイクなど)は必ず、同社の製品を使用。しかし、帽子は、「野球帽は通常、六角(6枚の生地を縫い合わせて作る)ですが、早大は八角。ウチは現段階では、まだ八角に対応できない」(アディダス関係者)という事情がある。八木下帽子の技術が、トータル契約に風穴をあけたのだ。

 プロ球界での評判は、さらに高い。

 八木下の父、故・秀吉(ひできち)が帽子作りに乗り出した1934(昭和9)年、大日本東京野球倶楽部(巨人の前身)が結成され、日本プロ野球がスタート。八木下帽子は以後、01年まで約70年間、巨人の帽子を独占的に作ってきた。ピークの昭和40年代には、巨人だけでなく、同時に9球団の帽子を作っていたほどだ。高校球界でも、八木下が作った帽子をかぶった学校は通算2000校を超える。

 それでも、八木下の立場はあくまで「下請け」だ。

 例えば、早大の帽子は「スポーツ玉澤」製。ミズノ、デサント、玉澤…八木下はこれまで様々なメーカー名で、製品を供給してきた。が、どのメーカーを名乗っていようと、通(つう)が見れば、八木下が手がけた製品は一目瞭然。「孤高の下請け」と呼ぶ人もいる。

 それでも、プライドがあった。八木下が手がけた製品は、サイズを明記したタグに「G・KYK」のイニシャルが書き込まれている。隠れた名人の仕事であることを示す暗号があった。=敬称略、つづく



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