【つばの赤い巨人帽は幻の逸品】
 八木下が手にする幻の巨人のキャップと歴代球団の名品 |
01年まで約70年間にわたり、巨人の帽子を作り続けた「八木下帽子」(埼玉県越谷市)。ピーク時には、同時にプロ9球団の帽子を作っていた。話題のハンカチ王子こと斎藤佑樹(早大内定)が、4月の東京六大学春季リーグ戦でベンチ入りを果たせば、2代目当主、八木下邦夫(66)のつくった帽子をかぶる。
野球帽作りは、監督のセンス、こだわりに大きく左右されるという。
93年、2度目の巨人監督の座に就いた長嶋茂雄は、帽子の色をごくありふれた黒から変えるよう命じてきたが、指定された色の名前は聞いたことがなかった。「ミッドナイトブルー」と指摘したのだと言う。
長嶋に聞き返すのは、職人の意地が許さない。八木下はあちこちを調べて回り、デパートの関係者から、ミッドナイトブルーが「黒ずんだ青」にあたり、「米国では、昼の日光の下でビジネスマンらしい紺、夜のパーティー会場の照明の下では礼服調の黒に見えるスーツが好まれる。その色がミッドナイトブルー」と聞き込んだ。
昔、元巨人監督の水原茂(故人)には、独特のダンディズムがあった。60年限りで巨人監督の座を退くと、翌61年に東映(現日本ハム)の監督に就任。同時に八木下に対し、愛用の高級スーツに使われた、こげ茶色の英国製ドスキン織りで帽子を作るようにオーダーする。この年、東映の帽子の色がこげ茶に変わったのは、そういう理由だった。
同じころ、阪神のエース村山実(故人)は、巨人の帽子が1個800円(当時)と聞きつけ、「何事においても、宿敵の巨人に負けたくない」と、阪神には1000円以上の物を−と注文してきた。現在と比較すれば、プロ野球選手の年俸はずっと低かったはずだが、帽子ひとつにもこだわる勝負師がゴロゴロいたのだ。
「職人ってのは、こだわりのある人、良さのわかる人に使ってもらうのが生きがい。今はもう、そういう人が少なくなった。外国で安く作った帽子が良いっていう人の方が多いものね…」と、八木下は肩を落とす。01年の巨人を最後に、八木下に注文を出すプロ球団はない。
現在は早大、いくつかの高校、社会人から舞い込むオーダーをこなす程度。八木下の2人の息子は一般企業に勤めている。
八木下帽子を世界一と評するスポーツグッズ鑑定家、前野重雄(53)は、「お金をかけただけではない。例えば、八木下さんは巨人時代の清原君の帽子を作る際、彼があみだにかぶるのを見て、つばをやや下向きに付け、光が入りにくく、かつ格好良く見えるように工夫した。清原君自身も気付かなかった心遣いです」と指摘した。
「私は、今の時代に作られ得るベストの物を見たい。それを作れる職人がここにいるのに、コストダウンを合理的と呼ぶ時代では、十分に腕を振るえないのが残念」と話す。
ちなみに、八木下の作の中で幻の名品といわれるのが、60年にカラーテレビ化に合わせ、巨人の帽子のつばが赤になったときのものだが、不評で1シーズン限りで消滅。
「材質、八木下さんの名人芸、希少価値からみて、いま手に入るなら、50万円は出します。マニアには、それ以上の値で欲しがる人もいるはず」と前野は解説した。
消えていこうとする匠の技。その技術が今春から、ハンカチ王子の頭の上で、辛うじて息づくことになる。(宮脇広久)
(敬称略)=おわり
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