−−女花火師−−
夜空は広いキャンパスです(1)

15代目「鍵屋」は女花火師

 今年1月22日、千葉・浦安のホテル。結婚披露宴の式場にいなせな木やりが流れた。その中を、纏(まとい)や、ちょうちんを携えた職人に先導されて花嫁が現れ、上座の舞台で待つ父の元へと向かった。

 それまで和らいでいた会場の空気が張り詰める。父は真新しい半纏(はんてん)を花嫁の肩にそっとかけた。招待客250人を前に、花嫁は少し緊張した面持ちで宣言した。

 「これからも父を師と仰ぎ、精進します」

 江戸時代から続く「宗家花火鍵屋」15代目誕生の瞬間である。父、天野修(62)の跡を継いだのは三人姉妹の二女、安喜子(29)。伝統ある「鍵屋」の歴史で初めての女花火師だ。

 新郎の純(35)は会場内の自席に座って、厳粛な儀式を静かに見守っていた。

 《鍵屋は、万治2年(1659)に初代・弥兵衛が奈良・篠原村から江戸・日本橋横山町に出て開いた花火店が始まり。享保18年(1733)創始の両国川開きを手がけるなど340年余の歴史を誇り、た〜まや〜 か〜ぎや〜!と掛け声ともなっている老舗だ》

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 父、修と母、澄江(58)の二女として生まれた安喜子は、小さいころから、腹に響くドーンという花火の音が好きだった。打ち上げ現場も好きだった。それ以上に、現場を仕切る修の姿が好きだった。仕事に打ち込む修の姿を目にすればするほど、安喜子の胸の中で、一つの思いが次第に膨らんだ。

 「100人以上の職人さんを束ねて、花火の現場を仕切る父の姿は、とてもカッコ良かった。花火大会は父を中心に回っているように思えた。私も、いつか父のようになりたい、と思うようになったんです」(安喜子)

 おてんば娘の固い決意

 おてんばで、カラッとした性格。3人の中で一番この仕事が向いている。そう考えていた修は、娘たちの率直な気持ちを聞くため、目の前に3人を座らせた。「悦子は、花火をやりたいか」。長女の悦子は当時、劇団に入っており、そんな気持ちはまったくなかった。当然、答えは「私はやらないわよ」。首を横に振った。

 次は安喜子の番だ。話を向けると、間髪入れずに「やりたい!!」。このとき安喜子は小学2年生だった。

 「父とのやり取りをほとんど覚えていなんです」と安喜子はいうが、「妹(三女・さかえ)は、姉と似た感じで、私のように花火の道に進むタイプではなかった」。

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 数年後、修は娘たちの気持ちを、もう一度確かめようと思った。前回と同じように、3人を座らせ、悦子から順に「花火の道に進みたいか」と尋ねた。

 答えは一緒だった。安喜子の花火の道に進みたい、という気持ちにも変わりはなかった。このときから、修や家族、鍵屋に携わる職人の間にも、「15代は安喜子が継ぐ」との暗黙の了解ができた。しかし、18歳までは、法律で火薬や花火に触れることが禁じられている。それまでの間、安喜子はまったく別の分野「柔道」で脚光を浴びるのだった。

 「江戸の華」の花火を演出して340年余。伝統ある「鍵屋」の15代目を襲名した女花火師・天野安喜子は、江戸の夜空にどんな“大輪”を咲かせてくれるのか。男世界に飛び込んだ「鍵屋の娘」を追う。

(竹中岳彦)=敬称略


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