−−嗚呼!!キネマの天地−−
さらば大船撮影所(3)

名作支えた「大部屋さん」いまや数人

 大船撮影所から続々と生み出される名作。それらを支えていたのがわき役俳優。「大部屋さん」と呼ばれる人たちだ。

 谷よしの(83)は昭和11年7月、松竹に入社した。松竹が大船につくった俳優学校の第1期生で、「自活のできる仕事がしたい」と家族の反対を押し切って女優を目指したのだった。以来、大船創生期から閉鎖まで64年間、栄枯盛衰を見つめることになる。

 デビューは翌年、島津保次郎監督の「浅草の灯」。高峰三枝子、上原謙、杉村春子ら名だたるスターが出演していた。「大部屋にいたとき、助監督だった木下(恵介)さんから、『君、(俳優)学校の人?』と声をかけられ、そのままセットへ連れて行かれたの。通行人の役で、木下先生が舞台の袖でじっと私を見ていて、歩き出すタイミングを手で合図してくれた。すごい親切だったのよ」。

 以後、木下作品には初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」などほぼ毎回、出演するようになった。谷の誇りでもある。戦後初めて企画された映画「そよかぜ」や、「男はつらいよ」シリーズにもほぼ出演した。

 最盛期、大部屋には60人ぐらいのわき役俳優がいた。それも、映画が斜陽になるにつれ、一人、また一人と減っていき、ついには片手で数えられるまでに。それでも、「映画が好きでしたし、多くの監督とお仕事ができて本当に幸せだから」と、大船に残り続けた。

 最後の仕事は、今年5月に撮影された「ホーム・スイートホーム」の入院患者役。「あまり気が進まなかったの。でも、スタジオに感謝の気持ちとお別れを告げようって思って引き受けました」。その表情は意外にもさっぱりしていた。

 撮影所からJR大船駅に伸びる通称「松竹通り」で洋食堂「ミカサ」を営む中山弘(58)もまた、大船を支え続けた一人だ。「撮影や編集が押せ押せになると、夜中の1時、2時になるわけですよ。そのとき、何十人前と注文が来る。これに対応できなきゃ。ずっと起きて待ってました」。

 大船開所と同時に、父親の竹安(平成2年死去、享年85)が店を開いた。弘の遊び場が撮影所であり、遊び相手が俳優やスタッフだった。「僕は車が好きでね、撮影所に行くとスターたちの外車があるでしょ、それを見るのが楽しくて。出前に行くと、チョコレートやお菓子がもらえるのがうれしくて、せっせと運んだもんですよ」。

 木下や小津安二郎、山田洋次といった監督や佐田啓二、池部良、鶴田浩二、淡島千景、東山千栄子、岡田茉莉子、久我美子…。多くのスターやスタッフが足繁く通った。そのリクエストから生まれたのが、名物メニュー「カツメシ」。こんもり盛られたライスの上にカツがのり、周りを野菜で囲む。

 「昭和21年ごろか、深夜になってもフォーク1本で洋食らしきものが食いたい、という要望があって誕生したと聞きました」。人によって細かなリクエストもあり、豚肉嫌いの淡島にはカツを牛ひれ肉にするなど工夫をこらしていたという。

 「物心着いたときから遊び回っていた場所が無くなるのは悲しいよね。今まで、食べに来てくれた常連さんが、『またね』でなく、『元気でね』と言うのは初めての体験で、それを聞くたびに、本当に終わりなのか、としみじみ思いますよ」。

 撮影所跡地に(鎌倉)女子大ができれば人通りも増え、活気にあふれることは間違いない。地元商店街にとってはビジネスチャンスなのだ。それでも中山は寂しげに言う。

 「撮影所とはコミュニケーションがあった。そういうのはもう、できないだろう」

(萩原和也)=敬称略


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