−−メダリストが明かす−−
五輪今昔物語(1)

<アトランタ・金>柔道 恵本裕子

 「金メダルの獲得は、これまでで2番目にうれしかったことかな」−。

 女子柔道が五輪の正式種目となってから、日本人選手として初の金メダルを獲得した、96年アトランタ五輪・女子61キロ級の恵本裕子さん(27)はこう話す。

 頂点を極めたこと以上の幸福とは、「家庭をちゃんと持って健康で生活できること」とノロける恵本さんは平成10年8月、前年の世界柔道選手権男子65キロ級で優勝した韓国の金赫(キム・ヒョク)選手との結婚を発表。現在はソウル市で、まな娘の長女妃奈(ひな)ちゃんの母として、多忙な毎日を送っている。

◇  ◇  ◇

 アトランタで快挙を達成し、ニューヒロインとなった瞬間を恵本さんは、「大きな目標を達成できたという達成感であふれていましたね」と振り返る。

 しかし、ヒロイン誕生への道のりは決して平たんなものではなかった。「千葉での世界選手権(平成7年10月)では、1回戦で11秒で一本負け。オリンピックの代表選考会(8年3月)でも1回戦負けでした」。今でこそ明るく話すが、当時は「柔道をやめたい」と思い悩んだという。

 しかし、代表選考会の敗者復活から勝ち上がって3位に選ばれ、代表に。

 「好不調の波が激しいタイプだったんですが、初戦を突破すれば波に乗っていけるので、初戦を大事にとばかり考えていました」

 その恵本さんの力になったのは「いい意味での開き直りだった」という。

 この開き直りで、本番では初戦を突破し、快進撃。決勝でも豪快な内またを決めて、金メダルを獲得。「私のそばには神様がついていてくれました」という有名なせりふを残した。

◇  ◇  ◇

 自分から韓国語で手紙を出し、韓国語の勉強をし、憧れていた金選手とゴールインした恵本さんだが、結婚当初は慣れない韓国での生活に、「戸惑いがいっぱいだった」という。「同じアジア人でも自己主張が強いなど、日本的感覚とは随分違いました」

 今やそんな生活にもすっかり慣れ、「テレビっ子なので、日本の民放番組を見ることができないのはちょっと寂しいけど、今はソウルでの生活を満喫している」という。その生活記を現在執筆中で、来年には発行する予定だ。

 夫の金選手は第一線を退き、ソンムン大学で柔道のコーチを務めている。現在は健康優良児の妃奈ちゃんの育児に追われる恵本さんも、将来的には柔道のコーチとして後進を指導していきたいとか。「指導者はこれまでやったことはありませんが、選手とは違った魅力があると思うので」

◇  ◇  ◇

 シドニー五輪はテレビでの観戦になるが、国際結婚でしかも夫婦は元柔道選手。五輪期間中は、ともに自国の選手を応援し、夫婦げんかでもするのかと思いきや、「2人とも試合を見ているときは結構冷静です」、「2人の共通の知り合いがいるので、その知り合いを一緒に応援します」と、どこまでもアツアツだ。

 恵本さんは、「アトランタでも一緒で合宿もともに頑張った52キロ級の楢崎教子選手と、高校と会社の後輩で70キロ級の上野雅恵選手を応援したい」と期待。夫の金選手は、練習したことがある男子60キロ級・野村忠宏選手が「世界のレベルから見て金メダルを取れそう」と話しているという。

 「田村(亮子選手)は今度こそ金メダル、行けるんじゃないですか。女子は3つ、男子も3つ取れれば…」。自らに続く日本柔道の金メダリストの誕生を心待ちにしている。

 【えもと・ゆうこ】昭和47年12月23日、北海道出身。旭川南高1年で柔道を始め、住友海上火災に入社。平成5、7年のアジア選手権で3位。6、7年の全日本女子体重別2連覇。11年10月、韓国柔道の元世界王者、金赫選手と結婚。ソウル市で長女の妃奈ちゃん(1)と3人暮らし。

(兼松康)


追跡TOPへ 次へ
ZAKZAK