−−夢舞台の名脇役たちー−−
ソルトレークシティ冬季五輪(1)

山本雅彦さん(45)=スピードスケート・堀井学選手のコーチ

 失業率が史上最悪の5.5%に達し、雇用不安が広がる中、大企業の正社員の職を捨て五輪に夢をかける男性がいる。スピードスケート代表の堀井学選手(29)のコーチを務める山本雅彦さん(45)だ。コンビを組んで挑んだ長野五輪で、堀井は500メートルで13位、1000メートルで17位と完敗。その2人がソルトレークシティー五輪を前にコンビを再結成、同種目でリベンジに挑む。山本コーチが家庭を犠牲にしてまで堀井にかけるのは「金メダルを取る」という共有の夢のためだ。

 「再びコンビを組んだのは、長野での“忘れ物”を取りにいくという思いがあったからです」。山本さんは堀井のコーチを引き受けた理由をこう話す。

 長野五輪での敗退は王子製紙の社員だった2人の運命を大きく変えた。堀井は退社し、外資系の能力開発会社「PJM」の契約社員に。山本さんはスケート部を離れ、王子製紙の子会社で営業マンとなった。

 堀井からコーチ就任の打診を受けたのは2000年4月。不調のためW杯代表を外され、苦しんでいた堀井が「自分のことを一番分かってくれるのは山本コーチしかいない」と、必死の形相で頼んできた。

 「やってみたい。しかし家族が…」。即答は避けた。コーチを引き受けることは王子製紙を辞め、安定した生活を捨てること。「PJM」の契約社員にはなるが、堀井の五輪出場が不可能になった時点で契約は打ちきりだという。北海道苫小牧市の家には、妻と1女、2男の4人の家族がありローンも残っている。

 妻の克枝さんに相談したとき、「何いってんの」と、その後1週間も口をきいてもらえなかった。当時中学3年だった長女は「高校をあきらめなくちゃいけないの」と心配した。2人の息子も「お父さんが(遠征で)いないのは寂しい」といってきた。

 堀井とのコンビ再結成は山本さんにとって、あきらめていた夢を取り戻すチャンスだった。インスブルック大会(1976年)、レークプラシッド大会(80年)では、それぞれ中長距離の3種目に出場したが、インスブルック大会の1万メートル、16位が最高だった。

 五輪には、選手としてもコーチとしても“忘れ物”がある。「金メダルを取る」という堀井に夢を託す−この思いが日に日に強くなった。

 最後まで反対していた克枝さんだが、「オレの幸せが家族の幸せ」と意思を固めている夫の前に4週間目で折れた。「そんなにやりたかったら、やってみたら」。今では克枝さんも「堀井くんは?」と様子を尋ね、2人を応援している。

 「PJM」と2人の契約は五輪出場が決まったことで3月31日まで伸びた。しかし、その後は白紙だ。

 「今はそのことを考えないようにしている。長野で終わったと思われた堀井の復調を見ていると私も明るくなる」と、見据える先は五輪の表彰台のみだ。

 2月8日(日本時間2月9日)からソルトレークシティー五輪が始まる。選手は五輪を目前に控え、海外を転戦し、本番に備えている。その陰で選手を支えている人たちの存在も見逃せない。選手とともに努力と苦労を重ねている関係者を紹介していく。

(藤田恵)


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