−−イラク戦争−−
命懸けVJ列伝(3)

ジャパンプレス 佐藤和孝さん(46)

佐藤和孝さん
髭をはやした野生味あふれる顔がおなじみの佐藤さん
◇VJの顔ともいえる存在

 髭をはやした野生味あふれる男が連日、イラクの首都バグダッドから戦況を伝えている。2年前のアフガン取材でも現地情報を送り続け、今やビデオジャーナリスト(VJ)の「顔」となったVJ集団「ジャパンプレス」の佐藤和孝氏(46)だ。戦場で“燃える男”の素顔とは−。

 「1つのことに頑固に取り組む、という生き方をする男」。佐藤氏が以前、所属したVJ集団「アジアプレス」の野中章弘代表(49)は、佐藤氏についてこう話す。

 北海道帯広市出身で、地元高校卒業後、カメラマンを目指し、東京写真専門学校に入った。

 プロカメラマンを目指した動機について、佐藤氏はマスコミの取材に「若いころ、ベトナム戦争の様子が週刊誌で写真入りで、頻繁に報道されていた。漠然と『取材してみたい』と思うようになった」と話している。

 専門学校中退後は、建築現場で金を稼いでは海外の戦場を飛び回る生活をしていたというから、根っからの「戦争ジャーナリスト」か。

 昭和55年には、ソ連軍侵攻後のアフガンに入り、写真とルポの『アフガンへの道』(晩聲社)を著した。

 その後、VJに転じ、米同時テロ後のアフガンでは、培った人脈と現地語を駆使し、現地から生中継を3カ月間にわたって送り続けた。

 日本テレビ系のニュースなどでリポートした回数は実に100回以上に及び、平成13年には、アフガン報道で同局の社長賞を受けている。

◇戦場に行くと燃える

 ノンフィクション作家の足立倫行氏は、華僑の生活ぶりを写真と文章で紹介した写真集『横浜中華街』(新潮社)で、佐藤氏とともに1年間、取材活動にあたった。

 「彼は当時からアフガンに潜入していました。中華街では取材を淡々とこなす、ごく普通のカメラマンでした。でも、取材後、一杯飲むときは必ず現地の戦況などを熱心に語っていた。『どうして行くの』と聞けば、『戦場に行くと燃えるんだ』と話す姿に、変わった人だなあ、という印象を受けました」

 アフガン以来、テレビで顔が知られた佐藤氏について、足立氏は「テレビに映ると、娘に『パパの知ってる人ね』といわれます。専門はスチールカメラなので、帰国後は現地の様子をまとめた写真集を出してほしい。そのためにも無事でいてほしい」と祈る。

 イラク取材について、佐藤氏は「取材にはイラク情報省のガイドが同行するので、自由に取材ができない。ストレスがたまる」と話している。

◇家庭より危険な取材に

 今回の取材でも、撮影中、秘密警察にカメラを没収されるトラブルも発生した。それでも、日頃から「歴史が変わる場面を体感したい」が口癖の佐藤氏は、まさに現場で歴史が変わる瞬間に立ち会っている。

 もっとも、常に死と隣合わせの戦場を仕事に選んだ佐藤氏は、私生活の“犠牲”を余儀なくされたようだ。

 関係者は「奥さんと生活していたが、VJの仕事に追われるようになったころ、離婚したようです。以前から『カミさんは危険な取材に反対なんなんだ』と漏らしていました」と明かす。

 家庭より危険な取材にこだわる佐藤氏が、今日も現地から迫真リポートを続けている。

(久保木善浩)=この項、おわり


戻る 追跡TOPへ
ZAKZAK