川崎市立の一部の小学校で、体操着の下に、肌着を着用することを禁止する指導が行われていることに対し批判の声が上がり、同市教育委員会は見直しも含めて検討するという。
またツイッターのトレンドでも「肌着禁止」が1位になり、マスメディアからSNSまで、小学校だけではなく、高校などにいまだに残る“ブラック校則”と呼ばれるものが議論を呼んでいる。
私は素行不良から某高校を自主退学して、他の高校で更生した経験があるので、あまり偉そうなことは言えないが、日本のブラック校則というのは欧米文化から見ると、私たちが中国やミャンマー、北朝鮮などに対して感じる違和感と近いようなものがあるという。自由主義国家のイメージがあるので、そのギャップは大きいのだ。
ブラック校則の代表的なものを挙げると、「黒髪指導」「恋愛禁止」などがある。だが髪の色や服装、恋愛うんぬんが青少年の育成に関係あるわけがない。
逆に、その手の心の「弾み」自体がまともな人間を作ることには欠かせないはずだ。自分を着飾る気持ちを押さえ込み、他人を愛せない人間を作り出すなど狂気の沙汰というほかない。
言うまでもなく、その本当の目的は、従順さの「素地」を作ることにあるのはハッキリしている。これらは前記した独裁国家がやるような思想統制の類と、大本の発想は何ら変わらない。根幹には恐ろしいマグマが流れている。
指導者や体制側は、小学校の先生から、果ては独裁者まで可能な限り「衆」をコントロールしたがるものだ。それは自分の無能さが露呈して、反逆者が増えるのが怖いからだ。
芝居の演出でも同じであるが、自分の無能さを隠したい演出家や監督にかぎって、「威光」を示したがる。逆に自分の作りたい世界がハッキリしている優秀な方は、驚くほどに穏やかである。
私たち俳優に対して、ひとつひとつ細かいことを要求するが、それは奴隷扱いではなく、「精密機器」を扱うがごとくに丁寧である。
これは冷静に考えると当たり前のことで、高度な機械を組み立てる作業において、それぞれのパーツをぞんざいにほうり投げたり、雨ざらしにしたりするような作り方で、高度なマシンがまともに完成するはずがない。
だが弱肉強食のエンターテインメントの世界なら仕方がないが、すべての学校教師に対して高度なパフォーマンスを要求するのは現実的ではない。また、まったく家庭教育を放棄している親と愚息もいるはずだ。世の中は難しい。
ちなみに私が卒業した当時の和光大学付属高校の「和光学園」は、髪形や髪の色、化粧、服装から持ち物、アクセサリーまで生徒たちの個人的な「いでたち」はすべて自由であった。
しかしその半面、試験点数に対する判断は厳しく、茶髪でも黒髪でも、点数が1点でも足りないと、平気で留年になっていた。だから1クラスに3人くらいは上の学年から落ちてきた者がいた。
私はその中にいて、髪の色なんてものは、現実社会の厳しさの前では何の関係もないとすぐに理解した。それを気づかせるのが高度な教育である。
■大鶴義丹(おおつる・ぎたん) 1968年4月24日生まれ、東京都出身。俳優、小説家、映画監督。88年、映画『首都高速トライアル』で俳優デビュー。90年には『スプラッシュ』で第14回すばる文学賞を受賞し小説家デビュー。発売中の『すばる』で連載小説『女優』がスタート。舞台『BACK TO THE MEMORIES』が東京・日本青年館ホールで上演中(18日まで)。5月2~5日には大阪・COOL JAPANPARK OSAKA WWホールで上演。公開中の映画『めぐみへの誓い』で拉致の実行犯役を演じている。YouTube公式チャンネル『大鶴義丹の他力本願』も更新中。