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【大鶴義丹 それってOUTだぜ!】幻の局地戦闘機“震電”というロマン 設計は超先進的も…実際には離着陸もままならず

あまり大きな声では言わないが、そこそこの「ミリタリーマニア」である。

とくに戦闘機に特別な感情を持ってしまう。なんて美しいのかと。

しかし、どうしても小声になってしまう。戦闘機というものは、そこに込められた最先端技術や機能美をいくらキレイごとで語っても、結局は「殺人兵器」である。

場合によっては、その超ハイテクの「刃」が自分や愛する者を慈悲なく木っ端みじんにしてしまうこともある。そんなモノに対して美しさを感じていいのだろうか。そんな疑念が解消されない故の小声だ。

この猛暑、そんな私が色々な文献を調べているのは、第2次世界大戦末期に日本海軍が開発していた幻の局地戦闘機だ。

戦局が悪化した1944年から開発が始まり、不眠不休の作業で、45年6月に試作1号機が完成したが、数回の試験飛行を行ったところで、そのまま終戦となった。

その名は「震電J7W1」。日本初の前翼式(エンテ型)戦闘機で、普通の戦闘機とは違い、プロペラが後ろにある不思議な形をしているタイプといえば、なんとなくそのシルエットが思い浮かぶ方もいるはずだ。

この戦闘機の開発コンセプトは、B-29の来襲阻止である。B-29は9トンの爆弾を抱えたまま、高度9000メートルを最高時速640キロという、それまでの航空機の常識を覆す性能であった。

既存の日本の戦闘機ではその高度や速度に対応が難しく、大挙して押し寄せるB-29に手を焼いていた。本土防空戦のエースたちが、捨て身の戦い方で一矢報いたが、圧倒的な性能差は否めなかったのだろう。

そのB-29の来襲を一掃する希望の光として開発されていたのが「震電」だったのだ。

18気筒2130馬力の大型エンジンで高度8000メートルまで10分40秒で上昇し、最高時速は時速741キロ。B-29が飛ぶさらにその上の高度から、機首にプロペラがない故に搭載可能の、4丁の30ミリ重機銃でB-29を撃墜するという。

終戦間近、もし日本がそのスーパー戦闘機を開発していたら、戦局を打開していたかもしれない。この「ロマン」に戦闘機マニアは震えてしまう。

だが現実はそんなロマンではなかった。調べれば調べるほどに、このロマンの塊は未完成の領域で、実際には離着陸もままならなかった。

設計コンセプトは超先進的であったが、実戦投入にはまだまだ時間がかかったであろうというのが事実らしい。人員から物資にまで困っていた終戦末期の1年間でスーパー戦闘機を完成させるのは、現実として無理があったのだろう。

しかし、その短期間で後世に「幻」とまで伝えられるスーパー戦闘機を形にした、当時の技術者たちの、すべてを賭けた情熱と覚悟がどれ程のものかと想像すると胸が熱くなる。まさに昭和魂だ。

だが同時に、それらはいまだに解決できない日本病のひとつかもしれない。ロマンに突き動かされることが本筋となり、結果が後回しになる。

■大鶴義丹(おおつる・ぎたん) 1968年4月24日生まれ、東京都出身。俳優、小説家、映画監督。88年、映画『首都高速トライアル』で俳優デビュー。90年には『スプラッシュ』で第14回すばる文学賞を受賞し小説家デビュー。YouTube公式チャンネル『大鶴義丹の他力本願』も更新中。

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