1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、激しい揺れの中で自宅で目を覚ました。初めに頭に浮かんだのは「なぜここで地震が起こるんだ!」だった。当時は、なぜか関西では大きな地震はないといった俗説を信じていた。
揺れが長く続き、一瞬、「家が崩れるのではないか」と思った時にやっと収まった。小学生の長女が別室にいたので抱きかかえて寝室に連れ戻った時の記憶はいまでも鮮明だ。家の中は食器や置物などが壊れて散乱していたので歩ける場所を確保して、押入れの奥にあったラジオのスイッチをつけた。早朝だったので家の周りは意外なほど物音は聞こえなかった。
神戸市にいる両親に電話を入れると、母は「建物は崩れていないから大丈夫。こちらには来ないでよいから、とにかく自分の家族を守ることだけ考えて!」と勢い込んで話していた。周囲は相当大変な状況だったようだ。その後はすべての電話はつながらなくなった。携帯も普及していなかったので連絡手段はなくなった。
水道も電気もガスも止まっていたので、とにかく水と食料を確保しなければならないと考えた。駅前のコンビニに向かうと倒壊した家屋、崩れた土塀など見慣れた景色は一変していた。崩れた家から毛布にくるまって路上に出ている人もいた。川上の高台の方角に煙のようなものが見えたので火事が起こっているのかと思った。
コンビニに到着して驚いたのは、床に散乱していた商品や飲料とは対照的に、陳列棚の間のスペースに二列にきちんと並んだ客の列だった。私は棚から転がり落ちたジュースの缶を手にして列の後ろについた。その整然とした雰囲気を作り出しているのは、カウンターで必死にレジを打っている男女2人の若者であることに気がついた。彼らは手際よく商品を袋に詰めて、元気に声をかけながら次から次へとまさに鬼気迫る勢いで応対していた。