将棋界では、棋士の養成機関である奨励会の試験を受けるには、原則四段以上の棋士と師弟関係を結ぶ必要がある。
女性も、プロの女流2級で棋士登録をする際には、同じく師匠が必要だ。
昭和の時代は、棋士が自分の家に住まわせる、内弟子という形態があった。
内弟子を取った棋士は、ほとんど亡くなってしまったが、特に多くの弟子を取ったのは高柳敏夫名誉九段、花村元司九段、佐瀬勇次名誉九段、原田泰夫九段らである。
高柳門下で内弟子をした棋士に、中原誠16世名人や私と同期の宮田利男八段がいる。
中原は小学生での内弟子だったが「東京に来ればプロ野球が見られる」と言われて、内弟子になったと聞いたことがある。
また宮田は内弟子をしながら『高柳道場』の手伝いを毎日していた。ただしよほど辛かったのか、頭に円形脱毛症ができたほどだったが、その修行のお蔭か、同期の中では最初に棋士(四段)となった。