2021年12月8日は真珠湾攻撃から80年目だった。真珠湾攻撃では集中運用した空母とその艦載機による空襲が最も注目を集めてきたが、機動部隊とともに行動した潜水艦による支援がなければ作戦はなしえなかった。しかも潜水艦部隊は作戦終了後、さらに米西海岸沖に進出、通商破壊作戦に従事している。それにより、1942(昭和17)年の正月は太平洋上で迎えることとなったが、作戦に加わった潜水艦伊21号の乗組員が献立を記録していた。一体どんなメニューだったのか。食事内容とともに、潜水艦の食料搭載について考える。
日本時間1941年12月8日の真珠湾攻撃では、潜水艦は偵察や哨戒、敵水上艦の阻止、不時着した航空機搭乗員の回収などが任務で、欠かせない存在だった。
そのうちの1隻である伊21は「巡潜乙型」の4番艦。巡潜乙型は哨戒任務を主眼に置いており、高速、長距離航続力と偵察用水上機の搭載が特徴。改良型も含め29隻が建造された日本海軍の主力潜水艦だった。
伊21は、就役が1941年7月15日と開戦の直前。水中排水量3654トン、全長108.7メートル、全幅9.3メートル、水上速力23.6ノット(43.7キロ)、水中速力8ノット(14.8キロ)、航続距離は水上16ノットで約2万6000キロもあった。現在と違い、第2次世界大戦前半頃までの潜水艦は浮上している時間の方が長く、水上航行能力が重視されていた。
真珠湾攻撃に際し、伊21は11月20日に母港の横須賀出港、単冠(ひとかっぷ)湾を経てオアフ島北方に展開した。真珠湾攻撃後は計9隻の潜水艦で米西海岸沖での通商破壊作戦に携わった。
12月14日ごろに西海岸沖に進出し、同23日にタンカー1隻撃沈、1隻撃破。同24日に米哨戒機の攻撃で小破の被害を受けた。1942年1月11日に日本海軍が泊地としていた西太平洋のクェゼリン環礁に到着。ここまで横須賀を出てから53日間の行動だった。その後、同23日にクェゼリンを出て2月1日に横須賀に戻った。