林英哲の太鼓の音色は清浄で深遠だ。聴衆は最初の一打から、身心の塵芥(ちりあくた)がわらわらと剥がれ落ち、清められていくのを感じながら、その響きに心地よく身を委ねる。
四半世紀前に生で最初に聴いたとき、締め込み姿の若者集団が太鼓を力打する「鬼太鼓座」とはまったく別の音で驚いた。
30年以上共演するジャズピアニストの山下洋輔も「身体の細胞が全部生き返る」と表現する。しかもその音色は公演のたびにより昇華しながら、独自の高みへと向かう。それは常に変わらない。
「太鼓は、人間や生命の本音に最も近いのではないかと思います。演奏会で子供が太鼓の音で寝てしまうのは、胎内で聞いた母の心音に似ているからといわれます。太鼓の音はすべての命とつながっている、命の音。僕は太鼓を憧れでなく始めて、独立後は〝素の自分〟に戻って、自分に何か役割があるのではと思いながら歩んできました」
20代を集団修行にささげ、社会から隔離されて11年を過ごし、1982年に30歳で社会に出た。浦島太郎状態だった。太鼓や練習場所の確保に奔走しながら演奏の機会を増やし、追究すべき道を模索するしかなかった。