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大分はスケールが大きい! 選手もチームもそのパフォーマンスも。
まず1967年39回センバツ初優勝の津久見。決勝の高知戦の勝ち方の痛快さは子供心に鮮烈に刻まれた。
エースは右の吉良修一(元・阪神)、180センチの長身から縦に割れ落ちるドロップでバッタバッタと三振を奪い、延長12回を投げ切りなんと16個。しかし数字よりも相手のバットがクルクル回る〝大きな落差の魔球〟に興味津々だった。
打者では延長12回表キャプテン7番サード山口久仁男(その後日鉱佐賀関)がレフトラッキーゾーンに飛び込む決勝アーチを架けた。試合を決める一発ホームランの大きな魅力を初めて味わった瞬間だった。
さらに津久見は72年54回選手権を制覇、エースは内角のシュートに外角のカーブが持ち味の右の水江正臣(元・ヤクルト)。このチームの看板は強力打線だった。私が観戦したのは二回戦の苫小牧工業(南・北海道)戦だった。
相手エース右腕は好投手の呼び声高い工藤敏博(その後法政大)。最大の見せ場は3番ファースト中川信秀(その後太平洋)、4番センターキャプテン吉近寿一(その後専修大)の両右打者による二者連続ホームラン! いずれもレフトのポールに絡みつくようにスタンドに吸い込まれたと記憶している。25年ぶり3度目の希少な光景は夢のようだった。この試合は毎回安打の13得点(13―1)で大勝。このあとも津久見は勝負強い戦いで頂点を極めた。