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今年2月1日、偉大な作家で政治家の石原慎太郎氏が89歳で亡くなった。
私は作家として昔から石原氏のキャリアに関心を抱いていた。その華々しい経歴の始まりを飾った23歳での芥川賞受賞作「太陽の季節」を読んだが、鎌倉を舞台に戦後の非道徳的な若者を鮮烈に描いた作品であった。小説は映画化され、出演した弟の裕次郎氏は「日本のジェームズ・ディーン」と呼ばれるほどの大スターになった。石原慎太郎、裕次郎兄弟は、日本の若者文化の中心となっていった。
彼の歯に衣着せぬウルトラナショナリスト(超国家主義者)的発言は、いつもトラブルを引き寄せた。1963年大相撲秋場所の千秋楽。白系ロシア人の父を持つ大鵬と柏戸の横綱全勝対決を柏戸が制して優勝した。すると翌日の日刊スポーツ紙の論説で石原氏がこの取組を「八百長」だと批判。当時大鵬は過去12場所中11場所で優勝という圧倒的強さを見せており、世間の大相撲への関心は薄れていた。そこで横綱同士のライバル対決という構図を強調し、再び世間の注目を集めるためにわざと負けた、と責め立てたのである。
大鵬が外国にルーツを持つがゆえに標的にされたと見る人もいた。辛辣な批判に大鵬は激怒し、本人からの強い訴えにより相撲協会は訴訟準備を始めた。石原氏は選択を迫られた―謝罪か、法廷で戦うか。彼は謝罪文を書くことを選んだ。波瀾万丈な人生の中で前言撤回したのはこの時を含め、数えるほどだろう。
皮肉にもこの件をきっかけに、大鵬と柏戸は土俵の外で親交を深めることとなった。2人の真の友情は、96年に柏戸が亡くなるまで長く続いた。