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北杜夫(1927~2011年)が大河小説「楡家の人びと」で描いた一族は、自身の家系、斎藤家がモデルになっている。米騒動で揺れた1918年から終戦直後に至る、激動の時代が背景だ。楡基一郎が院長を務める「楡脳病科病院」の場所も、北の祖父が創設した「青山脳病院」と同じで、現在の東京・南青山に当たる。
壮麗な外観を誇った青山脳病院は大正末の火事で縮小し、空襲で姿を消した。跡地に立つマンションの駐車場脇に、北の父である歌人・斎藤茂吉の歌碑があり、短歌「あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり」が刻まれている。
青山通りの表参道交差点から根津美術館へ向かう道は、有名ブランドの服飾店が立ち並ぶ日本有数のファッションストリート。北の母校・青南小学校(楡家の子供たちも通ったという設定)が通り沿いにあり、生徒たちの声がフェンスを越えて流れてくる。
美術館に突き当たって左へ折れ、しばらく行くと青山霊園(旧称・青山墓地)に着く。斎藤家の墓はここにあり、同じ墓域に「茂吉之墓」と刻んだ小さな墓石も立つ。