常識に照らせば、どうしようもないクズ人間のエピソードばかりです。それを納豆のような独特のねちっこい文体で、放送禁止用語を交えながら延々と描写するのが西村ワールドの真骨頂。また、貫多の開き直りと、怪しく漂う不気味さを暗示させてスパッと終劇する。この見事な終わり方も特徴です。
日本では「人様に迷惑をかけるな」という社会的な圧力が強いうえ、最近ではSDGsやコンプライアンスに対する配慮まで厳しく求められます。健康や生産性、キラキラしたおしゃれさを礼賛する風潮も強まるばかりです。そんな平成・令和の世に、正反対の方向性を持つ西村先生の作品がある種のカタルシスをもたらしたことは間違いありません。万人受けするとは到底いえない作風ですが、独特の危険な魅力があります。僕の人生にも多大な影響をちょうだいしました。唯一無二の天才であり、こんな作家は百年経っても出ないでしょう。ノーベル文学賞を贈るべきだと思います。
実は一度だけ、西村先生とお会いしたことがあります。たまたま同じラジオ局に収録でいらしていることを知り、帰り際にロビーで声をかけ、昔から熱烈なファンであることを告げました。文学誌に掲載されたばかりの作品について語ったので、本当に好きなことが伝わったのかもしれません。おこがましいので自分が何者かは名乗らず、名刺もお渡ししなかったのですが、先生は私のことをご存じだったのでしょう。その後、出版社を通じて先生から『瓦礫の死角』の書評を指名で依頼されたことは一生の思い出です。
きっと西村先生は天国でも大好きなたばこと酒を存分に楽しみ、風俗も満喫しておられることでしょう。西村賢太先生は永遠に不滅です。