
デビュー5年目を迎えた中森明菜の1987年第1弾となったのが通算18枚目のシングル「BLONDE(ブロンド)」だった。87年6月3日に発売された。
「この曲は、ある意味で冒険だった」
ワーナー・ミュージック(現ワーナーミュージック・ジャパン)で明菜の担当ディレクターだった藤倉克己は振り返る。
原曲は、シングル発売後の8月25日にリリースされたオリジナルアルバム「Cross My Palm」の収録曲「THE LOOK THAT KILLS」だった。
アルバム「Cross My Palm」は、明菜にとっては初の全編英語詞によるアルバムとして制作されたものである。藤倉はいう。
「最初は日本語詞のアルバムをと思っていました…。ただ明菜の制作を担当する前、僕は洋楽の制作だったこともあり、よく明菜と海外アーティストの話をする機会が多かったんです。それで明菜も洋楽に興味を抱き始めたのでしょう。彼女は新しいことにチャレンジしたがっていたので、何となく洋楽のノリで『英語詞でアルバムを作ろう』『やろうやろう』となったと記憶しています。方向性としては明菜作品でコンセプトとしてきた〝歌う兼高かおる〟〝歌謡曲の王道〟とはかけ離れてしまっていましたけどね」
では、明菜の英語力はどうだったのか?