国際法を無視したロシアのウクライナ侵攻は、多くの日本国民に衝撃を与えた。わが国の「平和憲法」の幻想が、所詮は幻想にしか過ぎないという事実を明らかにしたのである。
「憲法9条を守っているから日本は平和だ」
幾度となく繰り返された不思議な論理である。なぜ、憲法9条を維持し続ければ日本の平和が守られるのか、そこに合理的な説明は何もない。だが、「リベラル」を自称する多くの人々には常識的命題として受け止められてきた。そして、憲法9条を改正しようとする人々を、あたかも平和の破壊者であるかのように攻撃してきたのが彼らであった。
合理的説明を拒むが、ある人々にとっては明白な事実と受け取られる命題。これは信仰の領域に属する命題といってよい。
「死者の復活」など、信仰を持たざる人間からすれば、まるで信じがたい非論理的な事柄だが、信仰する人々にとっては重大で明白な事実として受け取られる。
信仰は論理を拒絶する。宗教に論理がないわけではない。信じるという決断をした人々を待ち受けているのが神学だ。確かに神学は論理的だが、神学から信仰は生まれない。信仰から神学が誕生するのである。信仰する人々の間でのみ通じる論理が神学だ。