「実は、もっと寂しいかな、と想像していましたが、そうでもなかった。もう選手としての復活はありません」
笑いながら〝卒業〟を繰り返した。
引退後の3月13日、名古屋ウィメンズマラソンで解説者としてデビューした。
レース中継で小気味よく合いの手を入れ、第2の人生はこの道を…と思いきや、「呼んでくれたら続けてもいいかな。でも、これから他にやりたいことがたくさんあるんです」と言う。
その1つなのだろう。先ごろ、自伝「福士加代子」(いろは出版)を上梓した。
「何年も前からですが、出版社の知人から『引退したら本を書かないか』と言われていました。書いてみて、これまで知らなかった自分を知ることができました」
何度転倒しても立ち上がり、走り抜く。そこが彼女の持ち味でもある。08年、北京夏季五輪の選考会を兼ねた大阪国際女子マラソン(同年1月)でのこと。初挑戦のマラソンで脱水症状を起し、4度転倒した。30キロ過ぎで失速し、「残り2キロで目がかすんできた」と振り返る。
所属するワコールの永山忠幸監督が並走し、棄権させようと「大丈夫か」と聞いてきた。
あのとき、何と答えていたのか。
「『止めるな、触るな!』。そう叫んでいました」
棄権の選択肢もあったはずだが、「ここでやめたら、またあの苦しい練習をして、スタートから走らないといけない」。そう純粋に感じたのだという。