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前回取り上げた源義経の「自己中(心)」の「天真爛漫(らんまん)性格」に、日頃から不満を募らせていた人物がいた。梶原景時という武将だった。今回のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の1人である。彼は鎌倉の梶原という土地を本拠とした武士で、もともとは源頼朝と敵対する平家側の大庭景親配下の武将であった。
頼朝軍の最初の戦といわれる大庭軍との石橋山の戦いでは、大雨による酒匂川の増水で、頼りの三浦軍の参戦が遅れたために頼朝軍は大惨敗を喫した。その時、頼朝は数人の部下とともに、大庭軍の討手から逃れるために、とりあえず山中に逃げ込み、洞穴に潜んだ。
大庭軍は頼朝の行方を必死に追うが、その討手の一人が梶原景時であった。彼はある洞穴でそこに潜んでいる頼朝を発見する。しかし、洞穴で最初に頼朝の顔を見たとき、梶原は、頼朝のただならぬ佇(たたず)まいに何か感じるものがあった。加えて、敗走中の敵将を「自分の手柄」として差し出すに忍びず、主君・大庭に背き、頼朝を見逃すことにした。
この頼朝が九死に一生を得た洞穴は諸説あるのだが、そのうちの1つが神奈川県真鶴町にある「鵐(しとど)の窟(いわや)」。頼朝はこの後、真鶴の浜から房総半島に逃げ、その地で再挙をはかり、結局は鎌倉に幕府を開くまでになる。