「おい菊池、あの人は畳職人だから気をつけろよ」。
自分がまだ新人選手だったころ、先輩の選手からそんな忠告を受けて直前控室に向かったことがありました。その「畳職人」とは、レースの成り行きで競りになるかもしれない選手のことでした。
「畳職人?」当時の自分は自力選手だったのですが、自在でも動けるようになってきたころのことです。強力な自力選手と同乗したレースだったため、先行争いで出切られたときにはインで粘る作戦を考えていました。しかし、肝心の「畳職人」の意味はわからないまま、レーススタート。自力選手同士のもがき合いになり、予想どおり出切られたところをインで粘る作戦を取ることになりました。
外で粘る選手は特別競輪でも優勝している大先輩でしたが、一回り以上も年上の選手だったので、簡単に外に飛ばせると思っていました。ところが、レースのスピードが上がってきたとき、自分の右肘にその大先輩の左肘が、グッと乗ってきたのです。まるで関節技を掛けられたように、この肘を払おうとしても、どうしてもどかせないのです。
自分がインで有利なはずなのにずっと重しが乗っているような状態で徐々に脚が削られていき、結局、競り負けてしまいました。自分でもなぜ負けたのかわからないような状況でゴール。
レース後、忠告をしてくれた先輩が一言。
「あれが畳職人の競りや」
今は機械で畳を縫い上げるのかもしれないですが、当時は職人さんが太い糸で畳を縫っていました。その時、太い針を畳に刺しながら縫うために肘を使いながら針を押し込んでいました。その様子を捉えて「畳職人」と名づけていたのです。
そのような職人技をレースで使う選手が当時は何人もいました。あのとてつもなくスピードが出ているレースの最中に繰り出される職人技の数々。
当時の競輪は今のような横に厳しいルールではなくて、格闘技のようなレースも多かったです。横にも激しく動くレースのなかで、巧みな技を繰り出してくる先輩選手の技術の高さにレースでは感服し、見るときはワクワクしていた覚えがあります。
今はスピード化された競輪になりました。誘導退避線からのスピードの上がり方は尋常ではありません。進化する競輪。ルール改正を経て、そのときどきのプロの技は見ていて今でもワクワクします。
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松山FIナイター2日目の12Rは地元勢が人気になるメンバー構成だが、嵯峨選手のデキがいい。番手を回る和田選手と、中団にこだわる松川選手の折り返しから狙う。〔2〕↔〔3〕―〔1〕〔4〕〔5〕〔7〕。
(元競輪選手・プロコーチ)
■菊池仁志(きくち・ひとし)1961年7月生まれ。愛媛県松山市出身。1981年6月選手登録47期。83年4月S1班昇格。2011年11月にS級在籍のまま競輪選手を引退。競輪選手生活30年のうち、S級在籍は28年に及ぶ。
GI、GII決勝戦進出。GIII向日町優勝など。通算268勝。競輪選手引退後は、競輪解説、コラム執筆などを手掛け、15年からプロコーチとしても活動。「K-FITTINGバイクスクール」を開講し、ジュニアから社会人、プロ選手といった幅広い層の指導にあたる。選手の癖を読み取るのが得意。